第47回 認知症介護殺人・心中
- 12月5日の読売新聞朝刊の1面トップ記事の見出しは「介護殺人や心中179件」で、2013年1月から2016年8月の間に、60歳以上の要介護者の家族による殺人や心中あるいは障害致死などの事件が179件で、死者は189人でした。その中で、被害者が認知症と確認されたのが71件40%で、その加害者の70%以上が男性でした。
以前、「家族の虐待」のコラムで、京都桂川の河川敷で発生した息子の介護殺人の例を紹介しましたが、2015年11月には、認知症の母とその夫を乗せて娘が運転した軽乗用車が深谷市の利根川に入り、夫婦は死亡し、娘は低体温状態で発見された無理心中事件がありました。このような認知症の介護に絡む悲惨な事件は後を絶たず、そこで死亡するのは認知症の人です。
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介護心中
私の記憶に残る悲惨な事件は、ある母・娘の心中事件でした。認知症の母親を病弱な一人娘が世話をしていたのですが、結局二人とも餓死し、死後数か月後に発見されました。この事件は、重度認知症の母親の世話を何とか頑張って行っていたのですが、経済的な困窮と介護者の娘の体力不安から、ともにこの世を去りたいと思い、消極的な心中を図った事件です。検死の結果は、娘さんと母親ともに外傷はなく、胃の中には全く食物残渣がない状態でしたので餓死が疑われました。事件が発覚した時に娘の心情を書き残したノートが発見され、亡くなる前の状況があからさまになり、地域や行政の対応に非難が集中しました。
この事件の背景にあるのが生活苦であり、それが解消されれば誰しもがこのような悲惨な事件は回避できると考えるでしょう。日本憲法では、最低限の生活を保障していますので、社会保障制度を利用することで二人の餓死は避けられたはずです。
京都の介護殺人事件も同じ生活苦が根底にありました。あくまでも私の推測ですが、京都の母親介護殺人の息子は、自身の置かれている生活苦の根底には母親の存在があって、そこから抜け出す手段として心中を考えたのでしょう。殺人という行為は、よく言われる衝動的な行為かもしれませんが、この事件は公判でも死ぬつもりで桂川の川べりに行った、と供述していますので、むしろ計画的な心中だったのです。公判では、息子の生活苦に対する陳述に皆が同情し、一般の親族殺人の実刑と異なり情状酌量を念頭に入れた執行猶予3年の判決が下されました。
京都の事件と似たような事件が娘の運転する軽自動車に認知症の母とその配偶者である父親を乗せて、深谷市の利根川に入水し、無理心中を図った事件です。娘が運転した車は、川の中に進んでいきましたが、途中で止まってしまい、そこで両親を車から降ろし、川の中心に向かって歩いて行きました。両親は溺死、しかし娘は川岸でうずくまっているところを発見されています。この事件も根底に3人の生活苦がありました。
以上の3つの事件に共通することは、背景に生活苦があり、被害者が認知症の母親で、加害者がその実の子でした。
ここで配偶者が加害者の介護心中事件をご紹介います。本年の7月にNHKスペシャルで介護殺人の話題を取り上げましたが、そこで紹介された埼玉県小川町で起きた事件について考えてみます。事件の詳細はNHKでも紹介されていますが、本年の2月に加害者の夫が認知症の妻の首を絞め殺害し、自身も自殺を試みたのですが死ねずに自首し発覚した事件です。それだけでこの事件は終わらず、加害者の夫は、逮捕され拘留された先で、何も口にせず、そして9日後に死亡した事件でした。第44回コラムでご紹介した吉田聡さん(仮名)のケースとよく似ています。献身的に妻の介護をしていたのですが、加害者が癌を患い、体調を崩し、このまま妻を残して死ねない、との思いから介護心中を試みました。
まだ記憶に新しいことと思いますが、本年の6月、東京都町田市で92歳の認知症の夫を絞殺し、その87歳の妻もベランダで首を吊り自殺した事件です。妻の遺書には、「一緒にあの世へ行きましょう。じいじ、苦しかったよね。大変だったよね。かんにん。ばあばも一緒になるからね」と書かれていた、と毎日新聞で報じていました。この事件の詳細はわかりませんが、加害者の妻は高齢でもあり、認知症が重度化していく夫の世話に心身ともに疲れたのかもしれません。
この2つの事件の共通することは、加害者が配偶者であり、むしろ世話することへの負担や拒絶という悪感情からの犯行でなく、これからの生きる価値や目的を見つけ出すよりも、死にゆくことへの意味や価値を見出したのかもしれません。
親の介護殺人
日常茶飯事のように人が人を殺害する報道が聞かれますが、いずれにしても殺人を犯すには大きなエネルギーが必要です。まして親の殺人では、加害者の被害者に向けられた日々積み重ねられた悪感情が理解できても、実際に親を殺す行為に至る感情は、想像することができません。しかし、これらの事件の背景には、認知症介護に纏わる想像を絶する深層があることを私たちに知らしめるものです。
子が加害者となった3つの事件の背景に困窮した生活があり、そこに将来の自身の姿を描けない絶望感が存在していたように思います。これらの事件で必ず議論されたり、場合によっては非難されたりするのが我が国の社会保障の在り方です。無論、それも介護殺人・心中という悲惨な出来事を生み出した要因の一つかもしれませんが、ここではこの問題と違う側面でこれらの事件を見ていきたいと思いまます。
加害者が認知症の親の子である場合と配偶子である場合を比較すると、世話する家族の関係性の違いで、殺害の心情に大きな違いがあることが見えてきます。無論、これから私が申し上げることは、単に私の思い付きですが、介護殺人・心中といった悲惨な出来事の回避に、多少なりとも役立てれば幸いと考えます。
多くの介護殺人・心中のケースは、何度も申し上げておりますが生活の困窮が背景にあります。ここに挙げた3つの事件の子である加害者は、いずれも定職についていません。そして、彼らの日々の介護を手伝う信頼できる親族も近所の人もいませんでした。3ケースとも報道等では、生活保護支給の相談を役所に行き、ケアマネジャーさんにも相談したことが伝えられています。しかし、結局はそれらが解決策にならなかったのでした。
3つのケースで餓死を選択した娘の心情は、他の2つのケースと異なります。生きることへの諦めであり、その自爆から抜け出すことができなかった精神状態があったのかもしれません。
利根川で入水心中を考えた娘、そして桂川の河川敷で母親を殺害した息子、いずれも自身の生に終止符を打つことはできませんでした。そこには死への恐怖があり、その恐怖の裏には生への未練があったのかもしれません。すなわち、認知症の親の介護を必然と受け止め、日々それに専念したのでしょう。しかし、親の介護を主体とした生活に、やがて行き詰まり、将来に絶望し、手段として自身の死を何度も考えたのでしょう。しかし、認知症の親を置き去りにするわけにはいかないと思い、「頑張らねば」と「逃げ出したい」との葛藤が繰り返えされたのです。そのうちに増々生活が困窮し、身動きが取れなくなって、道づれの心中を考えたのでしょう。
それには、被害者の親を先に殺害しなければなりません。その時の瞬間、それを決行するときのエネルギーはどこから生まれたのでしょうか。次の瞬間には、結果が目の前に現れ、変わり果てた親の姿を見て何を感じ、何を思ったのでしょうか。そこで、事態の重大さに自身も命を絶つことを決行しようとしたけれど、躊躇った背景にどのような感情が生まれたのでしょうか。
このようなことを考えると、彼らにとっての心中の手段は、自身の生活苦からの逃避であり、その元にある親の介護に終止符を打つ手段なのかもしれません。そして、心中第一幕の親の殺害を終え、次に自身の幕を下ろすことを中止した要因は生への未練だったのでしょう。
配偶者の介護心中
ここに挙げた2つの配偶者殺人は、いずれもその後自殺していますので心中です。このケースには生活苦というよりも、介護者の死への覚悟が見えます。そこには自身も高齢であり、これからの人生に社会的価値を見出せなかったのかもしれません。また、二人で過ごした人生に終止符を打つことで、来世の夢を抱いたのかもしれません。
私の臨床でも苦い経験があります。夫が認知症の妻を車に乗せて、高速道路の外壁に激突して両者とも死亡しました。そこでは、わき見運転の交通事故と処理されましたが、その夫はいつも「妻のみじめな姿を見せたくない」と話していました。そして、とても慎重な方で、「高齢者は運転するものではない」との持論を持っていた方が、高速道路で事故を起こすなど考えられませんでした。この事故の真相はわかりませんが、その夫の会話を思い出すと、恐らく、その夫はこれから夫婦二人で生きていく意味や価値を見出せず、自分と妻の生活に幕を下ろしたかったのです。
加害者が配偶者の中でも、心中に失敗して生き残ったケースはあります。その場合は、夫が妻を殺害し、心中に失敗したケースがほとんどです。いずれにしても加害者が配偶者のケースは、確実な成功手段を取ることが多いように思います。すなわち、生活苦の逃避ではなく、人生の終止符を目的にしているので、仮に生き残ったとしても、その人の生きる目的も、価値も見いだせないまま生涯を終えることになるのです。
私の母の場合も社会資源のみでの対応では不十分でしたので、入所を決意しました。私自身の経験から、入所を選択することは、在宅での介護放棄ではなく、在宅介護の延長です。
自宅で世話するのではなく、施設で私のできないこと、やらなくともよいケアをお願いし、私がすべきことは、これから先も世話し続けていきます。要するに、施設ケアは、在宅ケアの延長と考えてください。
介護殺人を防ぐには
加害者が子と配偶者ではその背景因子が異なります。しかし、いずれにしても共通することは、彼らの周囲に、生活を共にしたり、話し相手になったりする身近な親しい人がいません。介護殺人の加害者はほとんどが孤立しています。自分一人という環境は、今の環境から抜け出す機会を見失い、泥沼に入り込み、どの様に足掻いても、解決手段が見いだせなく、頼る者もなく、孤独感を深め、死を考えてしまうのです。
子による介護殺人を回避するには、まずは子の生活を整えることを優先的に考えるべきでしょう。子が生産年齢であれば、就職やアルバイトなどの社会活動を重視し、親の介護は介護保険や生活保護を利用して他者に任せること、それを実行する勇気とそのような環境作りをサポートすることです。第46回のコラムでも述べましたが、介護離職は、介護を孤立化してしまう第一歩かもしれません。いずれにしても、社会からの孤立は、よりよく生きる手段を失うことになります。
老老介護の場合も、とかく孤立しやすいのです。周囲が気づき、接近することが唯一の解決策です。子供たち、友人、地域そして公共機関が老老介護の現実を把握して、孤立させない地域支援を展開することが配偶者介護殺人を回避させる唯一の手段です。
ユッキー先生のアドバイス
介護殺人・心中の大きな要因は、社会からの孤立です。親を介護しているから、配偶者を介護しているから、との理由で周囲との交流を控えたり、絶ったりする介護者を見うけます。そのような行為は、なんのメリットもありません。
介護保険制度が介護の社会化を目指している現状で、家族のみで認知症の人の世話をすることは時代錯誤と言わざるを得ません。認知症の介護は、とても複雑で、家族一人で完結できるものではありません。「介護の上手な人は愛情が深く、下手の人は愛情がない」と思い込んだり、「介護の大変さは、愛情で乗り切れると」と決めつけている人がいますが、そのような考えに惑わされないで、できるだけ多くの手を頼りながら介護を行ってください。
認知症の介護では、専門家とシェアしながら、介護者自身の生活を大切にすることも忘れないでください。
(2016年12月19日)
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