第44回 夫婦の関係
- 少子高齢化の時代、夫婦2人の世帯が多くなり、また女性の平均寿命が90歳に迫ろうとしている超高齢時代に、夫婦のどちらかが認知症になると、どうしても老老介護が主体になります。
無論、認知症の人を介護する主たる介護者は、昔からその配偶者であることに変わりありませんが、以前は子の家族が同居していて介護を分担していることが多かったように思います。しかし、最近では、子供がいても同居していない、いわゆる老老介護が主流です。
今回のコラムでは、介護者が配偶者の場合について、その特徴を考えてみます。
源一郎さんの妻の介護
中村源一郎さん(81歳:仮名)は、6年前の75歳の時にアルツハイマー病と診断され、妻の智子さん(76歳:仮名)が日常の世話をしてきました。以前より東京の浅草の一軒家に住み、2人の娘さん達は、それぞれ都内で生活していて、時折孫を連れて実家に様子を見に来ていました。
最近の源一郎さんの状態は、要介護3で、日常のことはほとんど智子さんが世話をしています。排尿はトイレで行うのですが、トイレを汚すことが多く、たまに失禁も見られます。
智子さんがお風呂で洗髪・洗身をしなければなりませんので、今はデイサービスで、入浴サービスを利用しています。その他、身の周りのことは常に気を付けていなければなりません。
週3回、近くのデイサービスセンターを利用し、朝10時前に迎えに来て、夕方4時30分ごろ帰宅します。
デイサービスのない日は、源一郎さんを近くの買い物に連れだし、また洗濯物をたたむのを手伝ってもらいます。特に困った行動もなく、比較的穏やかに時を過ごしていますが、月に1度は3泊4日のショートスティを利用し、智子さんは息抜きをしています。
そんなある日、智子さんは源一郎さんを連れて、家から歩いて10分位のところにある浅草寺の境内に散歩に出かけました。
その日も、帰りに近くのお蕎麦屋さんでお昼を食べることを源一郎さんは楽しみに出かけました。いつものように観光客で賑わっている境内で、智子さんはお参りのためのお賽銭を出すのに気を取られていたのですが、ふと気づくと隣にいるはずの源一郎さんが居ません。あたりを見渡してもその姿はありませんでした。
智子さんは広い境内を歩いて探したのですが、見つけることができません。子供のころから浅草寺に慣れ親しんでいたので、直接家に帰ったのではないか、と思い慌てて帰りましたが、源一郎さんの姿はありませんでした。もう一度浅草寺に戻り、仁王門の近くの交番で写真を見せ、捜索をお願いしました。
警察官の指示で、自宅で連絡を待っていたのですが、午後の3時頃になって、田原町の病院から電話がありました。源一郎さんは、歩いているときに自転車とぶつかり、怪我をして救急車で運ばれたのでした。そこで、本人が名前と住所を告げたので連絡してきました。智子さんは、早速病院に駆けつけたのですが、怪我は軽傷で擦り傷程度でしたが、自転車を運転していた女性が心配そうに付き添っていてくれていました。
デイサービス参加の家族に同じような話を聞き及んでいたのですが、まさか自分の夫も行方不明になるとは思ってもいませんでした。
それから2週間もたたないある日に、今度は家から出ていき、警察に捜索をお願いする事件が起きました。幸い2時間ほどで見つかったのですが、その後も何度か行方不明になり、その度毎に警察にお願いすることが続きました。
ある日の夕方に、智子さんが夕食の支度をしている時にいなくなり、やはり探しに出て、交番にもお願いしました。その帰りに、偶然道路の脇に呆然と立っている源一郎さんを見つけたのでした。
ズボンに目を向けると、明らかに失禁していました。家に帰りシャワーで洗っている時に源一郎さんは初めて智子さんに向かって大声で「やめろー」と叫んだのでした。智子さんはビックリして、身を守ったのですが、幸い暴力を受けることはありませんでした。
この1か月の間の源一郎さんの変化に智子さんはただ右往左往するばかりでした。ケアマネジャーに相談して2週間のショートスティを急遽お願いしました。毎日のように智子さんは面会に行くのですが、いつものショートスティと変わらない様子でした。
帰宅後、しばらくは徘徊もなく、落ち着いた日々を送っていたのですが、ある日の朝、智子さんは異様な便臭に気づき、周囲を見ると、壁に便が塗られ、そこから臭いを発していました。源一郎さんの下半身は軟便で汚れていました。早速ケアマネジャーに相談して再度ショートスティにお願いすることにしました。
娘にも手伝ってもらい家を掃除したのですが、その時娘達は、在宅での世話は限界と忠告していました。しばらくして智子さんは、不正出血に気づき、受診したところ子宮癌を疑い大学病院に紹介されました。やはり検査結果は子宮癌で手術をすることになりましたので、源一郎さんを近くの有料ホームに仮入所させることにしました。
退院後、智子さんは源一郎さんの処遇をどうするか考えましが、自分一人では自宅での世話はできないこと、娘達が同居することも不可能なことから、入所を決意しました。これまで、源一郎さんの世話をすべて一人でやっていた自分を振り返り、もう限界と施設に任せる決意をしました。
妻の立場と気持ち
妻が介護者の場合、周囲の多くは安心してその夫の介護を任すことができます。家事のことや普段の世話についても妻の介護なら何の心配もいらない、と思うのが常です。また妻も、私がやらなければならない、子供たちにはやらせられない、私なら上手くできる、と思うようです。
源一郎さんも、妻の介護が最も頼りになると感じていました。
しかし、徘徊や失禁、また弄便が始まったとき、智子さんに「私には、もう世話は無理」との思いが走ったのです。その矢先に智子さんは子宮癌を患い、手術したのでした。そこで、自分が無理して体を壊すよりもプロの世話になった方がよいと入所を決意しました。
その後、智子さんは「プロに任せて本当に良かった、最近は、夫も落ち着いている。若い人が優しくしてくれるので、夫にとってもよかったとい思う」と今の状況に対して満足しているようでした。
多美子さんの夫の介護
吉田多美子さん(78歳:仮名)は、3年前にレビー小体型認知症と診断を受け、今はパーキンソン症状のために、歩行や体の動きが悪く、家でも横になることが多くなりました。
また、時折亡くなった母親が幻視として現れ、その母と何やら会話をしています。夫の聡さん(78歳:仮名)と2人暮らしで、5~6年前から、聡さんは多美子さんの異常な動きに気づき、神経内科を受診したところ、パーキンソン病の診断を受けました。そこから聡さんの介護生活が始まりました。
食事、洗濯、掃除、買い物と家事一般は聡さんが行い、多美子さんに手伝わせようとしても、最近は怒り出すようになり、何もしようとしません。要介護3で、サービスはデイサービスを利用しているだけ、通所リハビリは多美子さんが嫌がって行きません。
そんな聡さんに襲ったのが排尿困難と血尿でした。近所のかかりつけ医を受診したところ前立腺癌が疑われ、大学病院で手術をすることになりました。聡さんの入院中は、多美子さんをショートスティに預けることにしました。ケアマネジャーの勧めで、入院前に1泊のお試しショートスティを実施したのですが、案の定、夜間多美子さんは自宅に帰ると大騒ぎをし、連絡を受けて聡さんは、真夜中に多美子さんを迎えに行ったのでした。2人の息子に頼むことを考えましたが、2人とも遠方で生活しているために、多美子さんの面倒を頼むわけにはいきませんでした。
そこで、聡さんは担当医と相談して、手術を延期し、抗がん剤治療に切り替えることにしました。副作用もたいしたことなく、また排尿時の苦痛もなかったので、このまま治るのではないかと安心していました。しかし、6か月ぐらい過ぎた受診日の検査で、医師から肺転移を指摘され、手術を強く勧められました。入院中は、シュートステイも考えたのですが、多美子さんは精神科に入院されることにしました。
約2週間の入院で退院した聡さんは、多美子さんを自宅に連れ帰ったのですが、その様子は、以前よりも活気なく、またほとんど歩行ができない状態で、車いすを使用しなければ移動はできませんでした。
聡さんには、後悔の念が強く現れ、これからはずーっと自宅で世話することを決意しました。廊下には手すりをつけ、できるだけ自宅で歩行できるように努力したのですが、聡さんも術後で、思うように体が動かず、横になることが多くなりました。
家事援助やデイサービスの利用で聡さんの自宅介護がなんとか続けられたのですが、2週間ぐらい経ったころから、夜間、多美子さんは、大声で叫び、同じ内容の独り言を繰り返す異常な行動(レミ睡眠行動障害)が出現し、聡さんの眠れない日が続きました。
ある夜、聡さんは「もう妻を世話するのは限界」と思い、その解決方法として妻との無理心中を考えたのでした。何度もその考えを否定はしたのですが、自身ではどうにもならない、と諦めて、投げやりになっていました。
何日も眠れない夜が続いたある日の朝、デイサービスの迎えの職員が聡さんの異常に気付き、ケアマネジャーに相談したのでした。早速ケアマネが状況を確認するために訪問したときには、散らかり放題の居間の片隅に、痩せこけ、呆然としている聡さんの姿がありました。その場で近医受診を勧め、医師からは低栄養状態と疲労が指摘されました。ケアマネジャーは、半ば強制的に多美子さんを1か月間のショートスティ利用を実行したのでした。
夫の立場と気持ち
聡さんの多美子さんに対する世話は、とても献身的でした。デイサービスの職員や参加している家族からは、称賛の眼で見られていたのでした。そして家族会では、聡さんはいつも「自分は最後まで多美子を看取る」と言い続けていたのでした。
そんな聡さんにとって、前立癌は、思いもよらないことでしたが、彼としては何とか人の手を借りずに介護を続ける決意をしたのでした。その思いから手術後も早急に多美子さんの世話を始めたのですが、自分の体力と気力の衰えを感じ、自信を失いかけていました。
それでも、世話を続ける気持ちが先行し、家族や介護施設入所を拒否し続けていました。しかし介護の限界を悟った時に、聡さんはすべてを終わらすことを選択したのでした。
幸いにして、ケアマネジャーの機転で最悪の事態を回避できましたが、おそらく1日ケアマネジャーの訪問が遅れていたら、無理心中を決行していたかもしれません。聡さんは、自分が力尽きてしまった後、残された妻の介護を他者に任せることを嫌い、無理心中を考えたのでしょう。
妻と夫の介護の違い
妻の立場の智子さんは、自身の介護の限界に対し、専門職に委ねることを決意したのに対し、夫の立場の聡さんは、最後まで妻の介護を続け、力尽きた時には伴に死のうと考えたのでした。
ここに挙げた2つの事例が典型的な配偶者の介護態度というわけではありませんが、たまたま妻、夫の立場の介護者が同じ癌という深刻な事態に遭遇し、その時の両者の介護に対する態度の違いが印象的でしたのでご紹介しました。
私の臨床経験から申し上げると、妻が介護者の場合は、日常のその苦労はさまざまであっても、日々の介護を淡々とこなしているように思います。デイサービスを利用してご自分の時間を早くから大切にし、ショートスティを利用して友人と旅行に行き、息抜きすることを考えている人もいます。また子供たちや近所の人や地域と、うまくとりなすことができるのも妻の立場の介護者のように思います。
それに対して夫の立場の介護者は、独特の責任感をもち、完璧を望んでいるように感じさせます。夫は、家事生活に慣れないのですが、周囲への体裁を重んじ、何とか頑張らねば、と思っているのではないでしょうか。
また、周囲への支援に対しては、微妙な態度を見せます。デイサービスや他のサービスの利用にしても、自分の介護負担を軽減しようと考えるのでなく、認知症の妻にとって良いのか、良くないのか、判断しています。また、子供たちの支援に対しては、特に娘との口論が多いようです。それは、娘の一つひとつの指示が気に入らないのが原因です。
このように説明しますと、妻の介護は安心で、夫はどこか心配、と思われる人もいるでしょう。必ずしもそうとは言えません。妻の場合は、周囲が「奥さんなら大丈夫」、「お母さんなら任せておける」と決めつけ、あまり手助けの必要性を感じさせませんので、妻は日々の介護を一人で抱え、それが早期の介護破綻を招いてしまうことがあります。
夫の場合は、家事や妻の身体介護に周囲ははらはらしながら見ていることが多いので、つい手伝いたくなり、夫もそれに救われることがあります。また、周囲から「あのご主人は偉いわよね」との声も聞こえてくるので、決して悪い思いだけではありません。それが、在宅介護の負担軽減につながることもあるようです。
いずれにしても、妻と夫の立場の介護者の思いや態度が異なります。それらの介護者を支援するには、その特性を生かした支援が必要です。
ユッキー先生のアドバイス
妻であろうが夫であろうが、認知症の配偶者の在宅ケアは大きな負担が伴います。老老介護ですので、介護者自身も身体に何らかの問題を抱えていることが多く、「世話していけるのか」と、いつも不安はあります。このように高齢者が介護者の場合は、どのような気配りを周囲がすればよいのでしょうか。
第一に、介護者の健康状態に気配りをしてください。医療機関の通院がスムーズにいくように、また休息が取れるように配慮してください。
第二に、高齢者の介護は、周囲から見ると、心もとなかったり、考えられないことを行ったり、ついそのやり方に口を出したくなります。大きな問題がなければそれを尊重してあげましょう。
第三に、周囲の人の配慮として、介護者がしていることを頭ごなしに非難することはやめましょう。「そんなことしたら駄目でしょう」「もっと、ちゃんとしないと・・」の言葉は禁物です。その言葉に四面楚歌を感じさせてしまいます。
第四に、夫婦の関係は、長い歴史の絆です。たとえ身近な家族であっても、その関係に立ち入ることができません。その夫婦の絆を尊重しましょう。
第五に、認知症の人へ直接の介護支援も必要ですが、その主たる介護者が、健康で介護負担をできるだけ軽減しながら日々を送れるように支援することが重要です。
(2017年10月3日)
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