ユッキー先生の認知症コラム

認知症専門医として、大学院教授として、認知症とどう向き合うか、ユッキー先生が語ります。
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第31回 尊厳を支えるケア~プロによる虐待行為とは~

前回の第30回コラムでは、2015年2月18日朝日新聞朝刊に掲載された東京北区高齢者用マンションで行われていた入居者への拘束介護の記事を紹介しましたが、この度、2015年4月11日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事に「高齢者虐待の疑い1500施設~8900か所NPO調査 暴行や介護放棄」が報じられました。

NPO法人が行った全国の介護施設や療養型病院へのアンケート調査で「虐待があった」「あったと思う」と回答した施設が1,510件あったとの報道でした。
記事では、虐待の発生要因に施設介護職員の不足が要因と結論付けていました。確かに、人手不足は虐待につながるのかもしれませんが、ではどれだけの職員が配置されれば虐待はなくなるのでしょうか。

今回のコラムでは、主に認知症の人に対する介護専門職の虐待行為についてその発生要因を考えてみます。

虐待とはどのような行為

2013年度に確認された特別養護老人ホームなどの介護施設や居宅サービス事業所の職員による高齢者虐待の件数は、厚労省の調査で221件でしたが、この度のNPOの調査では、その約7倍の施設で虐待があったと回答しています。この調査は、全国約35,000施設のうち約9,000施設が回答を寄せていますので、回答率は25.7%となり、残りの約4分の3の施設の実態は明らかにされませんでした。単純に全国の施設の虐待の件数を割り出すと、調査結果の4倍の約6,000施設で何らかの虐待があった、ということになります。

厚生労働省が示す虐待行為とは、身体的虐待、心理的虐待、介護放棄、経済的虐待、性的虐待を言います(『朝日新聞』2015年4月11日朝刊1面より)。では、そのような虐待行為が実際にどうして行われてしまうのか、私見ですが、考えてみたいと思います。

身体的虐待

暴力行為や自由に動けなくする身体拘束、さらには本人の意思を無視した強制的な行為を身体的虐待と言います。明らかになったすべての虐待行為の約60%がこの身体的虐待です。

暴力行為では、認知症の人に対し、自制や反省を促すため制裁を加える意味での暴力、さらには介護者のストレス発散による暴力も少なくありません。多くは、殴る、蹴る、つねる、といった行為ですが、中には暴力が発覚しないように腹を殴る、太ももをつねるといった悪質の虐待もあるようです。また、ある事件では熱湯をかけ重傷を負わせたケースもありました。

このような行為を受けても、多くの認知症の人はその傷跡や痣がどうしてできたかを自発的に他者に訴えたりしません。また、説明を求められても、正確な説明はできません。周囲も「認知症だから」と尋ねても無駄との意識が働くことから、虐待の発覚そのものが見過ごされてしまうことが多いようです。それゆえに、ますます暴力行為がエスカレートし、重篤な身体的ダメージを受け、虐待が発覚されるといった悲惨なケースが後を絶ちません。

身体拘束には、手足をひもやベルトなどで縛る、全身を動けないように簀巻のような道具で固定する、両手にグローブのようなものをつけて指先での行為ができなくする、車いすにシートベルトのようなものをつけて、固定する、などの行為があります。これらの行為を実施した主な理由は、本人の安全確保、他者への配慮などです。この大義名分のような理由が、本人の精神的苦痛を無視した、介護者のための虐待行為であることを、介護者自身が認識しない大きな要因なのかもしれません。

例えば、
 「本人が転倒して怪我をするといけないから、ベッドから落ちると危ないから」
 「オムツを外すと衛生面でよくないから」、「何でも口に入れるから」
 「他の利用者に迷惑をかけるから」、「他者の家族から苦情が来るから」
 「車いすからずり落ちる、立ち上がると危険だから」
 「点滴やチューブなど医療処置を外すといけないから」
などは、認知症の人の安全面から「拘束やむなし」といった感が存在します。

正直なところ、私自身も今の和光病院に勤務する前は、「身体拘束をしない認知症専門病院で患者さんの安全確保が可能なのか」と疑問を持ちました。しかし、考えてみますと、転倒リスク、非衛生的な行為、危険な行為等は、在宅でも当然みられることですが、多くの家族介護者は、身体拘束をしなくとも何とか介護しています。

また、身体拘束は、認知症の人の理解しがたい行動を抑制するためです。介護者にとっては困った行動は、本人にとっての耐えがたい苦痛、屈辱、不安を訴えるための行動です。それらに介護者が気づき、その原因を取り除くならば、認知症の人の奇怪な行動はなくなるはずです。

心理的虐待

暴力や身体拘束などでなく、言葉や態度で認知症の人に精神的な苦痛を与えるのが精神的虐待です。介護者が無意識に放した言葉、そして認知症の人への誹謗、中傷の言葉がそれに当たります。しかし、言葉による心理的虐待を介護者が虐待と意識することは難しいようです。

認知症の人にかける言葉の多くには、「駄目じゃない」「何を言ってるの」「また同じことを言って」「いいから、いいから、やめて」など上から目線の言葉が少なくありません。このような言葉は、私たちの日常生活でもよく使われる言葉ですし、またそれを心理的虐待と意識して使っている介護者は少ないように思います。

では、どのようなことが心理的虐待となるのでしょうか。認知症の人の行動や言動、態度などに、支配的な感情、怒りや拒否的な感情が含まれると、認知症の人にとっては、耐え難い屈辱になります。このような認知症の人へ負の感情から出る言葉は、心理的虐待につながります。

介護放棄ではないのですが、認知症の人の訴えや要求に対し無視し、態度や表情で、嫌悪感やあからさまな非難や拒否の態度なども心理的虐待に当たります。 このような心理的虐待の発覚は、なかなか介護現場では難しいようです。また、これらの行為が認知症の人にどのような精神的苦痛を与えているのか、周囲にはわからないことが多いので、心理的虐待が日常茶飯事に行われていても、それを容認してしまう場合も多いのかもしれません。

そこで重要になるのは介護者への教育です。プロの介護者に最も必要なのは、生涯にわたっての教育で、その最も効果的な方法が事例検討会の開催です。処遇が困難な事例について、様々な専門分野の職種を交えた事例検討です。このようなことを普段から行うことで、介護者のケアの力量を高め、それが認知症の人への虐待、特に心理的虐待の回避につながります。

介護放棄

介護放棄とは介護を意識的に行わないことですが、プロの介護者は、介護技術と時間の提供の代償にお金を貰っているわけですから、その専門家が介護を放棄するとは、どのような行為なのでしょうか。

認知症の人への介護の主体が、食事、入浴、排泄、着替え、整容などの日常生活支援ですが、それを実行するには、認知症の人の残っている能力を正しく測定(アセスメント)し、ケアの計画を立て(ケアプラン)、実施することが求められます。 プロの介護者の介護放棄に、このアセスメントに基づくケアプランを実行しないことを挙げて良いと思います。なぜなら、ケアプランを立てていないということは、認知症の人の残存能力を正しく測定し、それらを活用しながら支援(エンパワーメント)を放棄していることに繋がるからです。

つぎに、支援を必要としている日常生活動作に対して、無視して行わないことがあります。具体的には、食事を与えない、失禁していても下着を取り替えない、オムツを変えない、入浴させない、身体を不潔なままにしておく、汚れた衣服をそのままにしていく、洗面や歯磨き、その他の身の回りの整容を行わない、などがあげられます。

これらの介護放棄は、「時間がない」「一回ぐらい大丈夫」「見せしめのため」「言うことを聞かないから」「ほっといても文句を言わないから」など、介護者の勝手な理由や都合で、正当化されてしまいます。
まさしく、介護者の思惑で、認知症の人に必要な援助行為を行わないことを介護放棄と言います。これらの行為を正当化させず、回避するには、ケアアセスメントとケアプランの作成、そしてその実践とモニタリングです。

経済的虐待

プロの介護者が認知症の人から金銭を盗む行為がしばしば報告されています。施設に入所している人の小遣いや手持ちのお金を盗む行為には、「認知症だからばれない」「少しぐらいの額なら問題にならない」「後で返せばいい」など、やはり介護者の勝手な思惑がそのような行為に到るのでしょう。

身寄りのない入所者が介護スタッフを信頼して、その人に貯金通帳と印鑑、キャッシュカードを預けたことで始まるある事件がありました。その介護スタッフは、頼まれ銀行での金銭の引き出しをするようになり、それらがきっかけで「後で返せばいい」の思いから始まり、「少しぐらいわからない」が重なり、最終的には約300万円のお金を無断で引き出したのでした。

金銭に絡む盗みや詐欺、あるいは恐喝などがこの経済的虐待です。この虐待の犠牲者の多くは、比較的軽度の認知症の人です。一見普通の高齢者に見えても、理解力や判断力が侵されているために、適切な判断ができません。また自身の衰えに強く不安を感じているために、優しくしてくれる他者を身近な者に感じ、その言葉を信じてしまうのかもしれません。

性的虐待

介護者がオムツを交換するときに、性器をいたずらしたり、あらわにしたまま放置したりする行為、その他性器をもてあそぶような行為は、性的虐待です。これも、介護者の勝手な思惑が認知症の人への尊厳を無視した許しがたい行為に発展するのです。

しかし、介護は日常の生活支援ですので、排泄や入浴の援助に伴い、性に関連する部位の対応が求められることは当然です。その際に、それらの援助行為が密室で行われてことが多いことから、性的虐待の機会を与えてしまうのかもしれません。

介護者の性的欲求や密室行為が人の尊厳を無視した性的虐待をもたらすのです。では異性による入浴介助はどのように考えればよいのでしょうか。
ほとんどの施設では、入浴介助を異性の介護職員が行っています。これに多くの高齢者が違和感を持っているのではないでしょうか。

ある施設に入所している女性の方が入浴拒否を続けていました。一か月以上も入浴が行われないことからスタッフが清潔を保つことを理由に、無理矢理の入浴させたのでした。このような行為に、どのスタッフも必要な行為と思い、彼女を養護する者は誰もいませんでした。

その彼女に「お風呂が嫌いですか」と尋ねたところ、「好きです。ゆっくり入りたい」。その後に「でも嫌です」と私に訴えたのです。すなわち、男性職員の介護にたまらない羞恥心が感じていたのです。その女性の話を聞いたときに、自分の立場で考えた場合、当然の態度と納得しました。決してBPSD(行動心理症状)などではありません。この異性による入浴介助を考えると、本人の意思を無視した行為、人前で性器をあらわにする行為、そして本人の尊厳無視した行為であり、虐待と言わざるをえません。

人手不足が虐待発生の要因でしょうか

5つの虐待行為について説明しましたが、これらの行為がなぜプロ介護職員により行われるのか、その要因をもう一度考えてみましょう。

前回のコラムでは、そこには介護をする人間とされる人間の力関係から生じる認知症の人への人間性軽視が問題であることを挙げました。
ここで、4月11日の朝日新聞を改めて読み返すと、施設内虐待の発生要因の一つに、介護職員の不足を挙げていました。確かに、認知症をはじめ高齢者の介護は、プロのスタッフでも大きな負担を背負うことになります。だからと言って、人員不足を虐待の要因とするなら、冒頭でも述べましたが、何人の介護職員が勤務すれば虐待が防止できるのでしょうか。むしろ、人員不足と言う大義名分を理由に虐待が行われている現状を憂慮すべきではないでしょうか。

虐待行為は、認知症の人、そして介護の対する誤った意識や職場風土から生じる問題です。その意識を正すには、第30回のコラムであげた、
 (1)職員の虐待に関する意識改革
 (2)虐待をさせない環境づくり
 (3)質の高いケアの提供
 (4)室化の防止
 (5)ヒヤリ・ハット
の、徹底が必要だと思います。
すなわち、高齢者施設での虐待を無くすには、介護者個人が、サービス事業所が、そして地域社会が認知症ケアに対する意識改革を進めていく必要があると思います。

【ユッキー先生のアドバイス】
高齢者虐待について改めて考える機会を得ることができました。誰しもが認める虐待行為は、決して許されるものではありません。しかし、中には介護者自身は無論のこと、周囲も虐待との認識なく、その行為を日常茶飯事に行われているものもあります。そして、その多くが介護者側の都合が優先される行為ですので、これらを正すには、相当のパワーが必要かもしれません。

ただ、認知症の人への虐待回避の最初の一歩は、「もし、自分がその人なら」その行為が、嫌なことなのか、嫌ではないのか、心地よいのか、不快なのかを考えることだと、私は思います。すなわち、自分にとって嫌なこと、不快なことは、他者も「不快」であり「嫌だ」と思っている、と気づくことです。
介護の現場で様々な援助を実践するとき、まずは「自分だったら」を考えて実践してみてください。そのような姿勢でケアを実践することで、虐待は回避されるのではないでしょうか。

次回は、家族介護者の虐待について解説しましょう。


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