第54回 認知症の人の対応~お金がない~

認知症の人を世話している家族が驚き、対応に困るのが「金がない」の訴えです。本人の金銭管理は杜撰で、お金を置き忘れたり、仕舞い忘れたり、また余計なものを買い込んでいる事実を知っている家族にしてみれば、腑に落ちない訴えです。また、家族にとって最悪なのが「お前が金を盗んだ」と突然泥棒扱いさせることです。普段献身的に世話をしている家族にしてみれば、怒りというより、むしろ悲しく、やるせない気持ちになります。このコラムでは、認知症の人のお金に纏わるトラブルの対処方法を考えてみました。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. お金が盗まれた
  2. 通帳を持ち歩く
  3. お布施の金額
  4. ユッキー先生のアドバイス

お金が盗まれた

第49回「認知症の人の生きている意味と目的」のコラムの中でも、認知症の人の金銭に纏わるトラブルについて述べましたが、その多くは、「盗まれた」という被害的な思い込みから発するものです。「盗んだ」とする人物は、娘や息子、子の配偶者、そして孫といった身近な人ですが、本人の配偶者は少ないようです。私の印象では、子の場合は同性が多く、子の配偶者は、圧倒的に息子の配偶者(お嫁さん)が多いようです。

背景には、「お金がないと生活できない」という不安があるのですが、多くの事例で、盗まれたとするお金の金額は明確でありません。例えば「財布に入っていたお金」「ここに置いていたお金」「箪笥の中にしまったお金」であって、さほど大きな金額ではないようです。しかし、本人にしてみれば、そのお金が無いことが重大事件です。すなわち、そのお金は、金額よりも自分がこれから生活するに無くてはならないお金で、それを「失くすはずがない」「使うはずがない」「だから盗まれた」と目の前の家族を「泥棒」と決め付け、お金をとりもどすことに躍起になるのです。

このように、「私のお金を盗んだ」と家族を罵倒するのは、突然で、全く思いも寄らないことなので驚かされます。またその人自身の人格を傷つける言動なので、誰しもが反論し、反発します。泥棒扱いされた者にとっては、何とも腹立たしいことで、最初は、ついムキになって否定し、怒りを露わにします。

家族がこのような態度をとるのも当然です。その時の家族は、ある意味でパニック状態で、否定することだけが頭に浮かび、良い策を講じることなど考えられません。そこで、以下のような対応をとることをお勧めします。

まずは、一呼吸して、自身が冷静になる努力をしてください。しかし、今まで本人を認知症と全く思っていなかった家族にとっては、冷静になること事態、難しいことです。少し時間が経ってから本人の異変に気付くのかもしれませんが、その現場で「認知症だから」と気づき、心穏やかに対応することは当然無理です。しかし、これから先、本人から同様の攻撃を何回も受けますので、早急に対応を考えた方が良いのです。そのためには、まず怒る気持ちを抑えて、とにかく冷静な気分を取り戻しましょう。

家族の怒りの感情を抑えることができた後は、まず本人の話に耳を傾けてください。その時、反論したい気持ちや、怒りが込み上がり、声を荒げそうになっても、できるだけそれらを抑えて、冷静に対応してください。その一つの方法として、第52回のコラム「認知症の人の対応~怒りっぽい~」をご参考ください。すなわち、本人言っている言葉をそのまま本人に返す技です。

本人「あんた、わたしの財布盗ったわね」
あなた「お母さんの財布を盗った?」
本人「なにとぼけてるの。ここにあった財布よ」
あなた「ここに置いておいた財布がないの?」
本人「ここにあったんだから」
あなた「ここにあったのですか? 探しましょうか?」
本人「もういい、あんたには頼まない」
あなた「何か、お手伝いすることがあれば言ってくださいね」

この方法は、比較的効果があります。重要なことは、この時、家族が何とか良い方向に解決しようと考えないことです。本人自身で自分の怒っている理由を考える間(時間)を与えるのです。その時「自分はなぜ怒っているのだろうか」と考え、それが説明できなくて「どうでもいい」と思わせることです。すなわち本人が期待している言葉を家族が言い放つことはしない。財布を盗んだことの否定、本人を責める言葉、それらは本人が怒っている理由を確認するきっかけになり「やっぱりこいつが盗んだ」と納得してしまいます。そうなると益々怒りが助長し、問題解決を難しくなります。

本人の怒りのトーンが下がったならば、少し距離を置き、様子を見てください。そして、この件が収まった頃を見計らい、本人の普段の行動から、財布を置き忘れそうな場所を探し、もし見つかったならば、本人の目のつくところに、そっと財布を置いてください。決して本人に財布あった場所を指摘したり、戒めたりしないでください。それをすることで「お前が盗って、もとに戻した」「あいつが盗ったから、人の所為にする」とまた話がもとに戻ってします。

通帳を持ち歩く

時折、何冊も通帳をハンドバックにしまい、持ち歩いている軽度の認知症の人を見かけます。男性は、そのような行為をあまり見かけませんが、女性の場合は、恐らくハンドバックの中に、財布をはじめ、いろいろな小物を入れ、それらを持ち歩くことが習慣になっているのでしょう。そして、大切な物をハンドバックに入れ、片身放さず持ち歩くことで、安心するのかもしれません

ある娘さんは、母親が、現金はもちろんのこと、自身の預金通帳、銀行印、実印を常にバックの中に入れて持ち歩くので、それをどこかに置き忘れてくるのではないか、と心配していました。もちろん、何度も注意をするのですが、最後には喧嘩になり、そして娘が折れて容認してしまうのです。

このようなケースの対応は、難しいですね。その娘さんもいろいろ策を講じたようで、銀行に相談に行ったり、バックを変えたり、いろいろ試みましたが効果はありませんでした。そこで母親のいないときにバックから通帳などを抜き取り、隠して様子を見ていたのですが、最悪の事態に発展してしまいました。目の色を変え、探し回る母親を見かねて「私が預かった」と通帳を渡したところ、娘を「ドロボー」と罵り、その時から、家の中でもバックを持ち、寝る時もバックを離さなくなったのでした。

私が経験した成功例を1つ紹介します。息子夫婦と同居している老婆で、これまで息子の配偶者は、本人が通帳と印鑑の持ち歩くのをやめさせようといろいろ試みたのですが、効果はありませんでした。3人で温泉旅行に行った時のことでした。息子夫婦達が財布を部屋の備え付けの金庫にしまっている様子を見て、「ここなら安心かしら」と自ら財布と通帳を金庫に入れたのでした。これをヒントに息子が小さな金庫を家に買って本人の部屋に置いておくと、その中にバックにあった通帳等をしまったのでした。息子が金庫の開閉方法を丁寧に教えたのですが、一度カギを閉めてしまうと本人は開けることができず、いつもお嫁さんに頼むのでした。このアイデアで、通帳等を持ち歩かなくなり、さらに、息子の配偶者への信頼が深まり、息子夫婦が安心した例でした。

この例は、偶然の出来事に機転をきかし功を奏した例です。この例から学ぶことは、恐らく通帳を持ち歩く本人の思いは、それを失うことの心配です。その心配を解消させるきっかけになったのが小さな手持ちの金庫でした。

お布施の金額



毎年、お盆の時期に夫や両親が眠るお寺にお参りに行き、お布施を渡すことが習慣となっている軽度アルツハイマー型認知症の老婆の話です。いつもお寺には子供たちが一緒に行くのですが、その都度3万円のお布施を渡していました。子供たちは、母親の気が済むなら、と思い、特に何も言いませんでした。夫の七回忌の年のお盆が近づいたある日「お寺さんに卒塔婆をお願いして」と娘に頼んだのでした。そしてお盆の墓参りの日に、本人が「七回忌の法要にお布施30万円用意して」と言いだし、娘に銀行へ行くように指示したのでした。娘は驚き「そのような大金は必要ない」と説明すると「あなたは先祖の罰が当たる」と罵倒され、30万円は譲りませんでした。長男に相談したところ「本人のお金なのだから好きなようにさせた方がいい」との意見だったので、娘は30万円を用意し、お寺に納めました。すると住職から丁寧な礼を受けたのですが、法事と卒塔婆料のことを尋ねると「決まりはなく心付けでよい」とのことでした。

仏事に関わらず、高齢者は『つけ届け』と称して、世話になった人や特別な計らいをしてくれた人に金銭でお礼しようとします。特に上記の様な仏事では、十分の金銭をお寺に納めることで、その分大きな幸が得られる、極楽浄土が叶う、と信じている方も多いようです。それゆえ家族は、その金額が適切でないと感じながらも、仏事という事でそれを認めてしまうようです。

上記の例は、夫の七回忌法事のためのお布施の意味もあり、子供たちはそれを容認したわけですが、いずれにしても、このよう例では、お寺さんに大金のお布施を差し出すことに家族は疑問を持ちます。ときに、その金額のことで本人とトラブルになることもありますが、それが適切な根拠のもとで決めた額なのか、判断しづらいことも確かです。ましてや、普段一緒に生活していないか家族や周囲の人達に相談すると、彼らは本人の意思という事で、その行為を容認し、そればかりか反対する家族を説得しようとします。このように、本人の見方をするような態度で接せられると、家族は何も口を出せなくなります。そのような時、家族はどのように対応したらよいのでしょうか。

この対応も家族にとって難しい問題です。実際のところ、お布施の金額を減額することは、本人が「妥当な金額でない」と気づかない限り不可能です。私の経験では、家族が「そのお金の半部を孫のために使ってくれたら死んだお父さんも喜ぶ」と説得して成功した例もありましたが、こういう例は稀です。

実際にお寺さんに相談した家族もいました。その際の話として「本人が認知症で正しい判断ができないので妥当な金額を教えてほしい」と尋ねても「お気持ちで結構です」と上記の例と同じで、金額は示さなったそうです。こうなると、本人の気持ちを尊重するしか手がなくなりますが、そこでご家族が取る行動として、まずその地域の卒塔婆や法事のお布施の相場を調べて、本人の説得を試みてください。

「この辺では大体、卒塔婆が3,000円から5,000円で、法事のお布施は3万円から5万円ですよ。両方で5万円ぐらいですから、お母さんのお気持ちも含めて、七回忌ですから7万円お納めしたらいかがですか」。

このように、具体的で、根拠のある妥当な金額を提示するのも効果的かもしれません。

いずれにしても、お布施や寄付金等の額は、本人の意思が尊重され、その金額の決まりはありません。高齢者の中には、自身のお金に執着する反面、周囲への見栄のためか、平気で大金を納めようとします。特に、初期の認知症の人のお金に関する予期せぬ行動には驚かされます。それを防ぐ良い対策は、任意後見や後見人の申請を行うことですが、我が国では、未だ後見制度を容易に利用する風土が育っておりませんので、結局は本人を世話する家族が策を講じなければなりません。そのためには、できるだけ早い機会に、またできるだけ頻回に、本人の持つ資産の管理や利用法について話し合っておくことが重要です。本人の財産等を確認し、その使い道を話し合うことで、本人の安心感と家族への信頼感が生まれるのではないでしょうか。次回第55回のコラムでは、この問題を考えてみましょう。

ユッキー先生のアドバイス

認知症ケアで困る対応の一つが金銭問題で、これは日常臨床で比較的多い相談です。もの忘れや判断力、理解力の衰えを日々感じている本人の心の中は、自身の生活を守ることに必死で、そのために持金に執着し、時には、今までの本人には考えられない金銭に関する不適切な行動をとることがあります。

このコラムで紹介したエピソードは、お金に纏わるごく一部の出来事ですが、いずれにしても、その効果的な対応方法はありません。ここでは、家族の対応が偶然、問題解決に至った例を紹介しましたが、それが全て成功するとは限りません。お金に纏わる問題の多くは、「自分を守る」ことで、本人も必死です。すなわち、お金のエピソードの背景には、本人の不安がお金に変わって表現されたようにも思います。

それ故に、介護者が本人と同じ目線でムキになって対応してしまうと、本人の不安が増長され、問題解決がややこしくなります。まずは、本人の訴えを聞いて、本人の間違った考えを是正するのでなく、不安解消の方法を冷静になって考えてみてください。

(2017年8月2日)



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