第17回 誰が認知症の人を看るの? パート2

自宅での介護を継続させる上で重要なのは、介護をシェアする事ことです。この話題については第16回のコラムで取り上げましたが、この回では、一人暮らしの母親を介護する2人の姉妹の事例を通して介護をシェアことの意味を違った角度で考えてみましょう。ここでは、主たる介護者が2人いる事と、介護をシェアする事とは異なるということを理解してください。

この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 母が認知症の姉妹
  2. 介護観の違いがもたらす姉妹間の不信
  3. アクシデントがもたらす深い溝
  4. アクシデントの結末
  5. 主たる介護者が2人いる弊害
  6. ユッキー先生のアドバイス

母が認知症の姉妹

末長好子さん(仮名)83歳は、79歳の時にアルツハイマー型認知症と診断されました。好子さんは、夫を75歳の時に亡くし、その後、東京都世田谷区の一軒家に一人で生活していました。好子さんには二人の娘がいて、それぞれがやはり世田谷区に在住しています。長女の旬子さん(53歳)は、独身で会社を経営する事業家で、次女の理恵さん(50歳)は、夫と2人の成人した子どもの4人家族で、特に仕事は持っていません。従来、好子さんは几帳面な性格で、家庭生活では、妻として、母親として、「模範的」と2人の娘さんは口をそろえて評価していました。

好子さんの夫は、前立腺がんの骨転移で、ほぼ寝たきりの状態でしたが、好子さんは最後まで自宅で看取りました。夫が他界してからは一人で生活していましたが、周囲との付き合いを控え、あまり外出しない毎日を送っていました。そんな母親を2人の娘達は、それぞれの思いで、なんとか元気づけようと時々食事や買い物に誘っていましたが、娘達もそれぞれの生活があり、母親と接する機会が多いわけではありませんでした。

昨年の3月、理恵さんは好子さんの孫の大学卒業祝いに、好子さんを食事に誘ったところ、喜んで承諾しました。そこで、理恵さんは、好子さんが亡くなったご主人と一緒に良く食事に行っていた銀座のホテルを予約し、日時を電話で好子さんに伝えました。しかし後日、好子さんに食事会の日時を確認したところ、全く覚えていませんでした。そして、食事会の前日の夜にも電話し、明日の食事会の事を伝えると、まるで初めて聞いたような対応だったので、戸惑いました。

当日、理恵さんが心配になって、好子さんを迎えに行くと、出かける支度をせずに、居間に座っているのをみて驚きました。どうにか支度をして、ホテルに向かったのですが、そこでも理恵さんを驚かす出来事がありました。トイレに行ったはずの好子さんがなかなか戻ってこなかったので皆でホテルを捜したところ、ロビーの片隅にいた好子さんを発見したのでした。

このことを姉の旬子さんに伝えましたが、旬子さんは、母親が認知症などと考えもおよばず、妹に「しばらく外に出なかったので戸惑っただけよ」とその懸念を一掃したのでした。それから1ヶ月が経ったある日曜日に、今度は旬子さんが久しぶりに母の家に行ったのですが、母の風体の変わり様に驚きました。さらに部屋は雑然とし、台所は食べ残しやビニール袋が散在し、レンジには焦げた鍋が置いてありました。昔の母親には考えられないことで、旬子さんは、「どうしたの」と何度も問いかけたのでしたが、返事はなく、ただボーっとして立っている母親の姿に恐怖さえ覚えたのでした。

介護観の違いがもたらす姉妹間の不信

そこで姉妹は、申し合わせて物忘れ外来を受診しました。診断はやはりアルツハマー型認知症でした。そして医師からは、好子さんが一人で生活できる状況ではないことの説明受けました。それからは、この姉妹にとって、それぞれの思惑がお互いの不信感に繋がり、好子さんの介護に大きな影響をもたらすことになったのでした。

最初の意見の違いは、誰が母親を世話するか、でした。旬子さんとしては、専業主婦の理恵さんが「自宅で面倒見るべき」との主張でした。ところが理恵さんは、自宅の環境や介護に自信がない事、さらに母親が昔から頼りにし、かわいがっていたのは長女の旬子さんで、彼女が世話をすべきと主張したのでした。結局姉妹が交互に母親を世話することに落ち着きました。しかし、姉妹の介護に対する考え方の異いから、お互いのやり方が気になり、それが不信感に発展してしまいました。

旬子さんが世話するときは、好子さんから片時も目を離さないようにしています。会社に出勤するときは、母親を一緒に連れて行き、買い物や外出時も一緒といった具合でした。それに比較して理恵さんは、早々に介護保険の要介護認定を申請し、在宅介護サービスを受ける準備をしました。理恵さんは、自分や家族の生活も大切と考え、理恵さんが毎週通っているフラワーアレンジメント教室や友人との会食等にはいつも通り参加したいとの希望がありました。

アクシデントがもたらす深い溝

理恵さんが世話をしているある日のこと、友人と昼食に出かけて帰宅してみると好子さんが不在でした。心当たりを探したのですが、見つからず警察に届けたのですが、午前0時を過ぎても帰宅しなかったので、今まで黙っていた姉にこの事実を電話で伝えました。ところが、好子さんは、旬子さんの家にいたのでした。理恵さんは、安心したのと同時に、なぜ今まで知られてくれなかったのか、と旬子さんへの怒りが込みあがってきました。旬子さんによりますと、お母さんの家に夏物の洋服を取りに行ったところ、たまたまタクシーから降り立つ好子さんに遭遇したのでした。運転手さんによると、「行先がコロコロ変わり、おかしいと思ったので警察に行くつもりだった」とのことでした。旬子さんは、お母さんの世話をもっとちゃんとすべき、と理恵さんに忠告し、「懲らしめに連絡しなかった」と告げました。この事件があってから、姉妹の仲は、険悪になっていったのでした。

それから1カ月が過ぎようとした6月のある日、理恵さんが好子さんを世話する月でしたが、その時はたまたま高校時代の友人達と旅行に行くことになっていました。その話を旬子さんにして、介護の交代を頼んだのですが、仕事を理由に断ったのでした。そこで、理恵さんは好子さんをショートスティにお願いし、1泊2日の温泉旅行に出かけました。当日の夕方、お風呂から部屋に戻った時、理恵さんの携帯に施設から電話がありました。内容は、施設で転倒し、歩けなくなったので病院に連れていきたい、とのことでした。しばらくして担当者から電話があり、「右大腿骨の骨頭骨折で手術のために入院が必要なのですぐに来てほしい」との連絡でした。病院に向かう電車の中で、旬子さんに連絡すべきか考えたのですが、なかなか踏み切れず、病院に到着したのでした。病室のベッドに寝ている好子さんの顔を見て、「温泉に行かなかったら・・」と母親への自責の念でいっぱいになりました。病院についてしばらくしてから、旬子さんに知らせたので、彼女は駆けつけてきました。理恵さんは、事情を説明しようとしたのですが、それを聞くでもなく、叱責するでもなく、好子さんの手を握っていましたが、理恵さんには顔をそむけ、ほとんど言葉をかけませんでした。「私が病院に泊まるから帰って欲しい、あなたがいてもしょうがないから」と、旬子さんの言葉に理恵さんは深い溝を感じたのでした。

数日後に好子さんの手術が行われましたが、その日の夜、また大変な出来事がおこりました。好子さんは、突然奇声を発し、ベッドで安静にすべきところ体を激しく動かし、さらには、点滴を自分で外し、ベッドが血だらけになってしまいました。理恵さんは、集中治療室に呼び出され、変わり果てた母親の様相に愕然としました。その夜は一睡もせずに好子さんのそばに付き添っていたのですが、好子さんも一晩中声をあげていました。朝になり旬子さんに連絡して付き添いを変わってもらうつもりでしたが、旬子さんはやはり仕事を理由に承諾しませんでした。そして「あなたがしたことなんだから」と言って電話を切ったのでした。 その日の夕方になって、旬子さんが訪れ、付き添いを変わることを申し出たので理恵さんは帰宅しましたが、夕食の支度をしている時に旬子さんから電話がありました。担当医から「母親が点滴を抜いたり、患部に挿入しているドレーンチューブを抜いたりするので、お母さんを入院させておくわけには行かない。専門病院に転院させて欲しいと要求があった、貴方が蒔いた種なのだからなんとかするように」でした。理恵さんは、慌てて病院に向かったのですが、その途中で、なぜかとても悲しくなり、涙があふれ出てきました。

アクシデントの結末

病院で母の顔を見て、母への思い、と言うよりもただ空しさを強く感じました。そして、その日の夜は、姉妹で付き添ったのですが、ほとんど会話を交わすことなく、気まずい夜でした。

翌日、理恵さんは、病院のケースワーカーと面接し、母の転院先を捜したのでした。ある老人保健施設が身体の拘束を条件に受け入れを伝えて来ました。その報告を聞いた旬子さんは激怒し、「母が縛られるなら、私が看る」と自宅で彼女が介護する事を主張したのでした。理恵さんは、そのような事が可能なのか疑いましたが、ケースワーカーに相談したところ、訪問医療や介護サービスを使って好子さんを在宅でケアするようにアドバイスを受けました。翌日、好子さんは自宅に帰ることになり、そして姉妹が交代で泊まり込み、介護保険サービスを使いながら、世話をする事にしました。しかし、昼夜を問わず興奮し、立ち上がろうとする母親の世話は、慣れない二人にとって大変な苦労でした。

数日が過ぎて、徐々に好子さんは落ち着き、大声での暴言や拒否は徐々になくなってきました。しかし、姉妹の関係は益々険悪となり、修復は不可能となったのでした。そんななか、旬子さんは、好子さんを一人で世話をすると主張し、中ば強引に自宅へ連れて帰ってしまったのでした。

主たる介護者が2人いる弊害

介護の考え方が異なる2人の姉妹がそれぞれの思いで母親を世話した結果、どちらかと言うと、妹の理恵さんのやり方が裏目に出て、好子さんの大腿骨骨折の事態を招いてしまった、と言ってもよいのかもしれません。

姉の旬子さんは、母親の介護を「自分の生活を犠牲にしてでも係るべき」と考え、妹の理恵さんの全く正反対の係わり方に反感を持っていました。結果的に、理恵さんが友人と食事を楽しんでいる間に、1人で外出して、道に迷ったのでした。運よく旬子さんに出会ったので大事に至らなかったのですが、旬子さんの理恵さんに対する不信が膨れ上がってしまいました。そんな矢先に、理恵さんが友人と温泉旅行に行ったがゆえに、ショートスティ先で転倒骨折、さらには術後の変わり果てた母親の姿に認知症が一気に進行して別人にさせてしまった、という怒り以上の感情が妹に向けられたのでした。ここでの問題は何だったのでしょうか?

道に迷い徘徊してしまう行為は、認知症の人に多い行動の異常です。また転倒による骨折も珍しいことではありません。これらのアクシデントを回避するには、24時間認知症の人に付き添っている必要があるのかもしれません。そう言う意味では姉の旬子さんの考えも納得がいきますが、このような方法で家族が認知症の人を継続的に介護することは、なかなか難しいようです。前回のコラムでも申し上げましたが、介護者が介護負担をできるだけ軽減しながら継続的に介護を行っていくには、専門職や他の家族と介護をシェアすることが必要です。そのためには理恵さんのような考え方も必要になります。

認知症の介護は、予期せぬ出来事が毎日のように生じます。これも介護者のストレスの要因です。この例のような徘徊や骨折は、旬子さんが介護していても起こったことかもしれません。たまたま理恵さんが介護していた時にこれらのアクシデントが起きたことから、理恵さんの介護が悪く、旬子さんの介護が良い、とは判断できません。このケースの悲劇は、介護の考え方が違う主たる介護者が2人いたことでしょう。そのために生じた意見の違いが、2人の姉妹の関係を悪くし、そしてそれがお互いに大きなストレスとなったのでした。また、認知症の好子さんにとっては、落ち着かない環境であるともいえます。それらが徘徊などの好ましくない行動を生み出したのかもしれません。

介護をシェアするとは、できるだけ多くの人が係り、それぞれが異なる役割を持つことで力強い介護環境を創ることです。同じ役割を持つ人が何人もいても意見の違いから、かえってややこしいものになるようです。特にこのケースのように主たる介護者の2人がおなじ役割で介護を営むことは、このような事態を招き、かえって介在宅介護を混乱させてしまいます。

この事例では、とりあえず旬子さんの希望もあり、旬子さんが主たる介護者として、今後の好子さんの介護のかじ取りを担うことにしました。その際に理恵さんは旬子さんを助ける立場に回っていただくことにしました。しかし、そこで問題になったのが旬子さんの考える在宅介護の考えを理恵さんに押し付けようとしたので、2人の中は険悪になってしまいました。結果的には、理恵さんが、お母さんの介護から手を引き、今後は旬子さんがひとりで介護をすることで収まりました。そして今でも旬子さんは会社を人に任せお母様の介護に専念しています。

認知症の人がそれぞれ違う症状を持つように、介護をする人もそれぞれです。ですから、主たる介護者が2人存在するとややこしくなることが多いようです。主たる介護者は一人で、うまくかじ取りをして、役割の違う周囲の人達にそれぞれの得意とするところをお願いすること、それが主たる介護者の負担を軽減し、結果的に長続きする介護が営めるのではないでしょうか。しかし、介護をシェアすることの難しさもあります。どんなに念密に役割分担をきめても、計画的介護を実施できたとしても、「本当にそれでよかったのか」という疑問や後悔は付き纏います。また主たる介護者の中には、旬子さんのように他人に任せられない介護者も多いようです。そのような介護者が、自分で思うような介護を実行することも決して悪いことではありません。そこで重要なのは、以前もお話しましたが、自分自身の介護する限界を決めておくこと、でしょう。

ユッキー先生のアドバイス

家族の介護と専門職の介護とは違います。家族介護者には、認知症の人との間に長い歴史があり、そこで築き上げられて人間関係は、誰もが分かるものではありません。その関係性を鑑みずに、よく言われる正論の介護方法を家族に実行すべきと掲げても、負担なだけでしょう。この事例も姉妹それぞれが異なる母親との人間関係を築いてきました。それぞれの思いが母親の介護方法に反映されていると察します。姉の母親に対する愛情が困難な状況を乗り切るかも知れませんし、妹の無理なく自分の犠牲を最低限にするシェアする介護が在宅生活の継続手段ともいえます。いずれにしても何が正しく、何が間違った介護かは、実際に行った結果で判断するものかもしれません。誰でも成功する在宅介護の方法、すなわち普遍的な在宅介護方法などないのが現状です。

重要なことは、介護者である家族が認知症の本人と向きあい、家族自身がご本人の為と思って、できることを行うことです。他者の意見や正論と称す介護方法を参考にしても良いのですが、それらに振り回されずに「できること」と「できないこと」を判断しましょう。そして「できないこと」は、他者にお願する気持ちの余裕が必要です。

(2013年12月2日)

【この記事を読んだ方へのおすすめ記事】

このページの
上へ戻る