第69回 認知症の人の癌~同意能力とは~

認知症の人の癌治療の同意は、多くの場合、家族に委ねられます。認知症の進行がどうであれ、家族は十分な治療を受けさせたい、と思うのですが、その反面、過酷な治療に耐えられるのか、本人の望みは何か、癌治療で認知症が悪化するのではないかなど、治療の代諾に決断がつかないのが現実です。

そこで今回は、認知症の人の癌治療の同意について、私の臨床例から考えてみます。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. ある認知症の人の場合
  2. 認知症の人の意思決定能力(同意能力)
  3. 家族の葛藤
  4. 家族の決断と同意能力
  5. 代諾の意味するもの
  6. ユッキー先生のアドバイス

ある認知症の人の場合

81歳の女性(仮名;順子)は、2年前に夫を亡くし、独居生活を営んでいましたが、その後の生活の混乱から、認知症を疑い受診しました。診断は、軽度のアルツハイマー型認知症で、会話は成立し、身の回りのことはある程度できていました。現在は、長女家族と同居し、主たる介護者は長女です。

長女が母親の入浴介助をしていた時、たまたま左の乳房にしこりを見つけました。乳腺外来では、比較的進行した乳癌で、乳房の切除術が必要との診断でした。リンパ転移も考えられるので、術後の放射線治療や抗がん剤の投与も考えられる、との説明で、術後の5年生存率は50%と告知されました。

長女は、手術を受けると決めたのですが、その後、手術や術後の放射線治療などに母は耐えられるのか、そんな辛い思いをさせたくない。それに母は、徐々に進行する認知症で、まして手術で認知症が悪化したら今以上にできないことが多くなる、それでも母には生きている意味があるのか、と悩みました。

主治医は、長女に手術の方向で治療を進めることを提案し、長女もそれに同意しました。ところが、本人に手術の話をした時、それを強く拒否したのでした。理由は、「81歳まで生きていたので、これ以上長生きしないでいい。夫のもとに早く行きたい」とのことでした。

認知症の人の意思決定能力(同意能力)

医療において最も尊重されるのは、本人への病気の説明と治療への同意で、一般にこのような医療側の行為をインフォームド・コンセントと言います。これは、患者さんの病気に対する正しい理解と治療同意の意思を明確にするため、わかりやすい言葉で情報提供し、患者さんが望む治療を選択し、その意思を表明することで、医療者はその患者さんの意思を尊重する行為です。

医療者が提案した今後の治療方針に対す同意能力とは、医師から説明された治療とは何か、その性質と目的、なぜその治療が提案されたかを理解することが求められます。そしてその治療法の利点や危険性についても理解し、もしその治療を受けないとどうなるのか、十分な理解が必要です。その後に患者さんが、その情報をもとに他の治療法などの情報と比較し、自身はその治療を受けるか、受けないかを決定する能力を同意能力と言います。

順子さんは、比較的進行した乳癌で、その告知と治療方法に関する医師からの説明を、長女と一緒に受けました。しかし、担当医師や長女は、本人の告知の理解と治療同意に関して適切な判断能力を有しているか疑念を持ち、その治療方針の同意を長女に委ねることにしました。

医療行為に関する同意能力が失われていると医療側が判断したときは、先の例のように家族がいる場合は、家族から同意を得ることが慣例化されています。ただ、家族同意に未だ多くの問題があります。例えば、家族とはどのような立場の者を言うのか、また家族間での争いがあった場合はどうするのか、などの問題を抱えています。この医療の同意権に関しての法的整備はなされていませんので、このコラムで深入りすることは避けます。

家族の葛藤

先に紹介した事例では、長女が乳癌手術に同意し、母親にそのことを伝えたところ、本人の意思として明確に手術を拒否したのでした。長女としては、拒否する母の思いを理解できないわけではありません。その反面、以前の母親と異なり、身なりが乱れ、毎日のように探し物をしている様子から、本人の同意能力にも疑念を持っていました。

担当医師からは、手術を行うことでの5年後生存率が高いことから、治療を受けることを勧められ、その助言を拒否する明確な理由もありませんでした。その時長女は、「認知症の母を世話することに負担を感じている私が、癌治療を拒んでいるのではないか」との自問が頭を過りました。

長女は、母の癌治療に対する拒否、主治医の治療の勧め、そして長女自身の思いに葛藤するのでした。まず優先すべきことは、母親本人の意思です。しかし、長女には、母親の真意が分かりませんし、それを知る素手がありませんでした。そこで、母親の性格や生き様を振り返り、まだ元気な頃に延命について話していたことを思い出してみました。

母親は、3人の子を育てる傍ら、友人と小物店を経営し、またPTA活動やその他の社会活動にも積極的に参加していた活動的な人でした。子育てを終え、仕事から手を引いてからは、夫と国内外の旅行を楽しみ、古い友人たちとアカペラコーラスグループを結成し、ボランティアで施設を訪問していました。長女はそんな母親を誇りに感じていました。

父親は、脳内出血で倒れ、その後退院することなく他界したのですが、その間母は毎日病院に通い、看病をしていました。医師からほぼ脳死状態であることを告げられると、「早く楽にしてあげたい」と娘に話していたのでした。

長女は、母親の治療拒否の意思は、以前の母親の生活状況や言動から、本人の意思であることを内心認めていました。しかし、長女は多少でも母親に回復の望みがあるならば、その可能性を長女自らの手で断念することはできませんでした。長女は、担当医師と相談の上、母親を説得し、手術に踏み切ったのでした。

家族の決断と同意能力

厚生労働省は、2018年6月に「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」を発表しています。ここでの意思決定支援とは、意思を形成するための支援、意思を表明することの支援、意思の実現のための支援と定義しています。このガイドラインは、家族以外の第三者が、本人の意思決定を支援する際のガイドラインで、身近な家族の支援方法についての詳細は記載されていません。

いずれにしてもガイドラインでは、本人の意思を十分に尊重することを求めています。上記のようなケースは、決して珍しい事例ではありません。順子さんの治療拒否の意思決定には、本人のこれまでの社会生活や夫を看取った経験、そして本人が認知症という病気のことを理解していたとするならば、本人が乳癌の治療を拒否する意思は、十分理解できます。

順子さんの意思を尊重するのであれば、治療はせずに自然経過に任せるべきかもしれません。しかし、身近な家族である長女は、乳癌治療の最新情報を収集することで、治療への期待が膨らみ、回復を確信したのでした。そうなると本人の治療拒否の意思を尊重することはできず、むしろそれは母親の意思ではなく、認知症による自己決定能力が冒された結果であって、子供が注射を嫌がるように、後先を考えない短絡的な拒否と思ったのです。

手術は成功し、術後軽いせん妄状態がみられましたが大事に至らず、約2週間で自宅に退院しました。帰宅後、多少長女との会話が少なくなり、日常での身の回りのことで失敗が多くなったことから、認知症の進行を疑いました。その後放射線治療が必要との医師の説明に、母親は断固と治療を拒否したのでした。ここでも、長女は治療を勧めましたが、母の「もう十分、これ以上私を苦しめないで」の言葉に愕然としました。

結局、放射線治療も抗癌剤治療も拒否し、2年後にこの母親は他界しました。長女は、母の意思を尊重せず手術に同意したことを悔やみ、その一方で母に放射線治療を強引にでも受けさせなかった自分を責めるのでした。

代諾の意味するもの

認知症の人の癌治療の代諾は、誰かが治療の諾否を決断しなければなりません。同意能力に欠く認知症の人には、身近な家族に同意を求めますが、その家族が本人とどのような関係にあるか、担当医師は詳細を確認せず、診療に同伴する家族に代諾を求めることが一般的で、それが正当化されているのが現状です。

どのような関係の家族であれば、同意の代諾が認められるのかは、未だ法的に整備はされていません。場合によっては、家族の代諾が本人の意思を尊重したものでなく、その家族の利益を優先した代諾の恐れもあります。先の事例でも長女は、自身の代諾が母親の利益よりも自身の利益を優先しているのではないかと自問する瞬間がありました。

代諾を任された家族は、何を基準にどのような判断れば良いのか、決まったルールはありません。簡単に言えば、代諾者の決断が優先されます。ここに挙げた乳癌の母親の場合のように、多くは、担当医師の説明と考えが、代諾者の決定に大きな影響を与えます。担当医師の考えもまちまちですので、念のためにセカンド・オピニオンの意見を尋ねることをお勧めします。

最も重要なのは、本人の意思の尊重ですが、本例のように、明確でないまでも自己決定能力が存在している軽度の認知症の場合、手術拒否の意思をどのように家族が解釈するか、とても難しい問題です。事例で長女は、手術拒否の本人の意思は、的確な判断力を欠いている上での短絡的な判断とし、一方で、放射線治療の拒否を本人の意思として、治療を拒否した経緯がありました。

認知症の人の意思の明確な確認方法はありません。健康な時の本人の意思が書き残されているものがあれば、それは明確かもしれません。それでも生死の問題になると、治療同意に関する家族の決断は迷います。

このような事例は、認知症の臨床でよく遭遇しますが、家族の代諾が意味するものは、その結果がいかなるものであっても、家族の心に深い痕跡を残します。それは後悔という言葉では説明しきれない心の傷です。その心の傷を少しでも癒すためには、治療同意を独りで決断するのでなく、他の家族や親しい友人、あるいは担当医師、他の治療関係者など、多くの関係者と相談することです。

そして、最後は本人の代わりに治療の諾否を決めなければなりません。

ユッキー先生のアドバイス

癌に限らず、治療同意の代諾は、家族に重い負担がのしかかります。普段の診療でも家族の困惑にたびたび遭遇します。そこでは、いくつかの治療方法を提案し、治療効果の統計的確率を述べるなど、客観的な情報提供が主流です。

日常臨床で治療同意の代諾に困って意見を求めてきた家族には、「もし、あなたがその人だったら、どうしてほしいと思いますか」と、こちらから尋ねます。長年、その人と生活を伴にし、苦楽も一緒に味わったこれまでの時間は、誰よりもその人の人生を知り尽くしているのではないでしょうか。

どの選択がベストかは、誰にもわかりません。また結果に対し後悔しない人もいません。大切なのは、代諾後の本人への心のケアです。

(2019年1月31日)


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