第92回 あるべき姿の認知症ケア

2019年6月に、認知症施策推進関係閣僚会議が「認知症施策大綱」を取りまとめました。

この詳細はインターネット等でご覧いただくこととし、今回のコラムでは、将来の「あるべき姿の認知症ケア」をこの大綱を引き合いに考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 私と認知症ケア
  2. 認知症ケア関連の施策
  3. あるべき姿の認知症ケア
  4. ユッキー先生のアドバイス

私と認知症ケア

1983年6月聖マリアンナ医科大学病院精神科で、認知症の人のためのデイケアを日本で最初に大学病院で開設しました。それまでは、診察の時以外、認知症の人やそのご家族と向き合う機会がなかったのですが、デイケアを担当することで、認知症の人を間近に窺うことができました。これが私の認知症ケアとの最初の出会いでした。

デイケアの最中に怒り出す参加者を宥める難しさ、突然病院の外に飛び出した参加者を追いかけ連れ戻す大変さ、その他にも認知症の人が毎回のように繰り広げる異常な行動の対応にあたふたしていました。

デイケアでは、月に1回参加者の家族が集まり、家庭での様子やケアの方法などの情報交換の場を設けました。そこでは、家族同士で在宅ケアの難しさや工夫が話し合われ、赤裸々な在宅介護の実態を知らされました。その後、その会は「水曜会」と名付けられ、デイケアを卒業した家族も参加するようになりました。

デイケアは、その後の私の認知症医療・介護に大きな示唆を与えてくれました。当時は、認知症と診断しても、なす手が無かったのですが、長谷川式簡易認知機能検査を開発された主任教授の長谷川和夫先生は、認知症の人にデイケアが有効と確信し、始めたのでした。認知症ケアの原点は、このデイケアにあると私は信じています。

その後の私の社会活動は、地域で家族会を立ち上げ、もの忘れ外来を開設、在宅介護負担の研究をはじめ様々な認知症ケアに関する取り組みを行ってきました。中でも認知症介護研究センターの設立、日本認知症ケア学会や認知症ケア専門士制度の創設にかかわり、認知症ケアの担い手の育成、教育に力を注いできました。

2001年7月からは、臨床から離れ、日本社会事業大学大学院で認知症ケアに関する教育と研究を行ってきました。そこでは、社会福祉学を通し、認知症の人への支援のあり方を学びました。医療は治療の結果を重視しますが、福祉はサービスの結果よりもむしろその過程が大切であることを学びました。すなわち、ケアへの支援の結果に「良い」「悪い」の評価は難しく、特に認知症ケアでは、支援の過程で、必要と思った支援を提供することが重要と考えました。

2012年10月から和光病院院長として認知症の医療に携わっています。当院は、開院当時から入院者に身体拘束をしないと唱っていますが、医療保護入院の体制をとって入院を受け入れています。すなわち入院するご本人の明確な同意が得られなくとも、精神保健指定医と家族が入院の必要を認めた場合に入院できる制度です。それゆえに、病棟は閉鎖病棟の構造になっています。

入院患者の多くは、行動の異常や精神症状(認知症の行動・心理症状BPSD)のために在宅や施設での介護が困難な方です。入院加療では、薬物も使用しますが、適切なケアが最良の治療と考えています。それゆえに「ケアも治療の一環」の認識の下で、その人に適した介護環境を模索し、提供することを主眼に治療を行っています。

認知症の臨床で欠かせないのが、家族への支援です。少子高齢時代では、一人の家族で認知症の人を介護することが多く、大きな負担を強いられることがあります。そんな家族に向かって「愛情があればできる」などと愛情を強要する他者がいますが、私は、愛情の「ある、なし」と介護が「できる、できない」とは、全く別の問題と考えます。愛情があっても介護ができない人もいれば、愛情がなくても介護はできます。

私の母も認知症でした。終末期には私が世話をしましたが、決して入浴やトイレの介護はできませんでした。その話をしたときに「愛情が足りないから」と嗜まれましたが、私にとって大変辛辣な言葉でした。他人の思わぬ言葉で、私のように傷つく介護者も多いと思います。家族支援とは、介護教育ではなく、家族が安心できる介護環境を提供することです。

認知症ケア関連の施策

1963年に特別養護老人ホームが創設され、1982年老人保健法が制定、そして1984年に 認知症ケアに関する研修事業が開始されました。その後、認知症に係わる様々な施策が展開され、徐々に地域活動が整備されました。2000年の介護保険制度スタートまでには、1989年に老人性痴呆疾患センター、1992年に認知症対応型デイサービスセンター、1997年に認知症対応型グループホームが開設されました。

2000年に介護保険法が制定され、2004年には「痴呆症」が「認知症」と改名され、2005年に認知症サポート医養成研修開始と認知症サポーター養成研修が開始されました。2006年には、かかりつけ医認知症対応力向上研修がはじまり、2012年には「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」を目指す「認知症施策推進5ヵ年計画」(オレンジプラン)、そして2015年には「認知症施策推進総合戦略~認知症高齢者等にやさしい地域づくりに向けて~」(新オレンジプラン)が策定されました。

2019年6月に「認知症施策推進関係閣僚会議幹事会」で「認知症施策推進大綱」がまとめられました。この大綱の目的は、認知症の人も、伴に同じ社会で、尊厳と希望を持って生きることを意味する「共生」と、認知症になるのを遅らせ、なっても進行を穏やかにするための「予防」を主眼に置いた施策です。

過去の施策は、認知症の人の介護や家族支援に主眼が置かれていましたが、近年は、認知症の人が住み慣れた地域で暮し続けられる環境作りに重点が置かれています。すなわち、これからの認知症施策は、特別な人への支援から、同じ社会の一員として生活を共にする人の支援を展開する施策です。これに着眼して、認知症ケアの将来を考えてみます。

あるべき姿の認知症ケア

そこで、「もし私が認知症になったらどうゆう生活を望むのか」考えてみました。恐らく、自分でも認知症に気付くかもしれませんが、周囲の人が積極的に受診やサービスを勧められる環境、それを快く受け入れられる自身、世の中であって欲しいと思います。「それを勧めるのは失礼でないのか」「あなたに言われたくない」と双方が思う背景には、認知症への偏見が存在するからです。その偏見がない世の中にすべきです。

認知症になると、生活そのものに混乱が生じます。その時、私が一人暮らしであれば、ご近所に迷惑をかけないために、地域のサービス付き高齢者住宅や介護施設に入所することを希望します。住み慣れた自宅を離れるのは抵抗がありますが、初期の段階で施設に入所することで、その施設の生活に慣れるまでの時間も早いでしょう。また、そこが終の棲家になれば、安心して余生を送れると確信します。

同居している家族や世話してくれる人がそばにいたとしても、私は入浴やトイレ、着替えなどの身の回りの介護をその人にお願いするのに抵抗を感じます。家族が私の世話をしたいと思ってもできない事情もあるでしょう。そんな時、プロの介護者が必要な時に必要なサービスを提供してくれる環境であれば、気兼ねなく愛する家族と生活を共にできます。

認知症になった私を世話する家族にもそれぞれの生活があり、それらが私の為に犠牲になることは絶対に避けたいです。私の日常の世話をプロにお願いするには、早いうちに介護施設へ入所することを希望します。その際に、私がこれまで築いてきた家族との絆を大切にしたいと思う気持ちに十分配慮した処遇を心から望みます。

これからのあるべき認知症ケアの環境について、私の思いをまとめてみました。
1.認知症が特別なこと、恥ずかしいこと、と思わない社会
2.安心、安全に暮らせる生活環境が、住み慣れた地域に容易に得られる環境
3.家族がプロの介護者とシェアし、無理なく認知症の人を世話できる環境

ユッキー先生のアドバイス

2011年から始めました「ユッキー先生の認知症コラム」は、今回で92回を迎えました。このコラムをこれまでの長い間、支えてくださいました読者の皆様方に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

2021年3月をもって、しばらく休刊させて頂きたいと思います。また、機会がありましたら、コラムでお目にかかりましょう。

さようなら


(2021年3月31日)



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