第56回 認知症の人の対応:破局反応~突然の怒りの爆発~
- 「破局反応」という精神科専門用語をご存じでしょうか。これは、「突然の怒りの爆発」であり、言葉の攻撃「叫ぶ、ののしる」、あるいは身体的攻撃「叩く、殴る、蹴る、噛む」などの激しい行動が突然出現した状態を言います。アルツハイマー型認知症の人の約40%に見られると報告されていますが、本人を取り巻く環境が原因のようです。すなわち、認知症の人の破局反応は、自分で処理できないストレスが周囲から加わると、感情の反応として、激しい怒りと攻撃がみられる状態を言います。そうだとすると、破局反応の対応は、そのストレスを軽減することが重要です。
このコラムでは、認知症の人の「突然の怒りの爆発」の対応を考えてみましょう。
- この記事の執筆
信友さんのお母さん、あれから~
8月20日のフジテレビMr.サンデーでは、認知症になったTVディレクター信友直子さんのお母様の最近の様子が放映されました。昨年の9月にも2週にわたり信友さんの遠距離介護の様子が放映されましたが、その後のお母様の様子を伝えたものです。
そこでは、自分の気持ちをどのように処理して良いのかわからなくなった信友さんのお母様が「何もわかってくれない」「どうすればいいのか」「もう死にたい」と何度も大声で叫んでいました。そして、近くにあった物を洗濯機に叩きつけ、壊し、部屋の壁に穴が開くほど叩き、大声で泣き叫ぶなど、激しい怒りの感情がむき出しになった姿が映し出されていました。まさしく、あの状態が破局反応です。
そこに、いつものヘルパーさんが訪れ、お母様にさりげなく語りかけ、そして温かく甘いミルクを用意し、差し出しました。すると、うそのように落ち着き、美味しそうにミルクを飲んでいました。
別な場面では、お母様が「もう死ぬ、殺せ~」と狂乱している姿に業を煮やしたのか、夫が「死にたいなら死ね」と激しい口調で叱責していました。その後、お母様はふとんをかぶり、不貞寝してしまいました。しかし、その傍らに、夫が何も言わずに座り、ただボーとしていると、お母様が布団から片手だけを出し、夫の手を握ったのでした。
お母様の気持ち
8月20日の放映では、信友ディレクターのお母様の気持ちが痛いほどわかります。お母様は、昔と違い、いろいろなことができなくなったことを自覚しているのです。そして、90歳を過ぎた夫に世話をかけていることにとても気にしているようにも感じました。お母様の様子を見ていると、第36回コラム「認知症の人の世界~来る日の戸惑い」で紹介した井坂淑子さん(仮名)の日記に書かれていた「脳が破かいして、今はもう普通でなくなって、半分以上過ぎているのかな?」のフレーズを思い出します。井坂さんは、ごく初期の認知症でしたが、信友さんのお母様のように比較的進行した方でも、できなくなった自分、壊れていく自分に気付いているのです。
険しい表情で落ち着きなく家の中を動き回り、自分の振舞い方がわからず戦々恐々としているお母様からは、強い不安を抱いていることが読み取れます。恐らく、壊れていく自分に気づき、大きな不安が押し寄せて来たのでしょう。しかし、その不安が、何から来て、どう解決したら良いのか、誰かに助けを求めたら良いのか等々、本人には考えることができません。ただ、漠然と不安に恐れおののき、何とかしければ、と思っても何にもできない自分を責め、自分自身との葛藤に苦しんでいるのです。
その葛藤は、やがて物を壊す、叩く、大声で叫ぶ、罵るといった怒りの行動に置き換えられたのです。お母様の怒りの爆発は、誰か特定の人間に向けたものでなく、自分自身あるいは目には見えない認知症という魔物に向けたものかもしれません。
しかし、いくら怒っても、叩いても、泣いても、どうしようもならないことを悟り、それならば「死んだ方が良い」、「死にたい」と居直り、自爆的になったのです。そして、最後は布団をかぶって不貞寝するしか身の置き場がなかったのでしょう。
破局反応の背景
信友さんのお母様がもたらした破局反応の背景には、壊れていく自身に「気づき」、その状況に「不安」が襲い、どうにかしなければ、しかしどうにもならない、との「葛藤」が「怒り」の爆発を招いたのでした。しかし、いくら怒っても、いくら叩いてもどうしようもない、もう死んだ方が良い、不貞寝してしまえ、と「居直る」のでした。
このように「気づき」→「不安」→「葛藤」→「怒り」→「居直り」、そしてまた初めの「気づき」が繰り返され、新たな破局反応をもたらすのです。認知症の患者さんに見られる破局反応の背景には、このように「わからなくなる」、「できなくなる」、「自身が失われる」といった不安や恐怖があるのではないでしょうか。
その根拠は、温かい甘いミルクが差し出された時、夫の優しい手のぬくもりを感じた時、お母様の表情は変わり、落ち着いたのでした。そこには、不安から解放されて、安堵感、やすらぎがもたらされたのです。すなわち、認知症の人の怒りは、第52回「認知症の人の対応~怒りっぽい~」でも述べましたが、周囲の人に向けられたものでなく、自身への怒り、自身の中に居座る認知症という魔物への怒りなのです。
破局反応への対応
その場の「激しい怒りの爆発」を止める事は、なかなか困難です。介護者がその状況を止めようとしても、なだめても、その人の怒りに真剣に対峙しても、それは収まりません。信友さんのお母さんの場合は、温かいミルクと夫の優しい手のぬくもりが激しい怒りの感情を鎮めたようです。そして、この2つの対応に共通するのが「安心」です。
お母様は、温かいミルクの香りと甘い味、そして普段から食事などを作ってくれるヘルパーさんのからの優しい言葉かけに、安心したのでしょう。夫の「死にたいなら死ね」という強い口調にお母様は何かを感じたのでしょうか。それは夫への恐怖なのか、見捨てられ不安なのか、わかりませんが、いずれにしてもいつも自分を世話してくれる夫の変身ぶりに驚いたのかもしれません。そして、布団をかぶりじっとしていたのでした。しかし、その後、夫が何も言わずに自分の傍に座ってくれたので、恐る恐る夫の手を握ってみると、そのぬくもりの中に「安心」を感じたのでした。
認知症の人の不安は、妄想や攻撃、徘徊や怒り、そしてこのような破局反応に通じます。介護者にとっては、その不安の原因を知る余地はありません。また、それが分かったとしても、本人の不安を解消させられる術もありません。また、当然のことながら、認知症の人の破局反応への対応で決まった有効な方法などもありませんが、そこで重要なのは、介護者のその時の接する態度かもしれません。
まずは、介護者自身が冷静になることです。私の経験では、その状況での余分な言葉かけは無駄です。例えば「そんなことしてはダメでしょう」「なぜそんなに怒っているの」「なぜそんなことするの」と問いただすような言葉かけは何の効果も与えません。本人や周囲の人に危険がない限り、少し遠巻きに観察していてください。
時には、介護者を噛んだり、叩いたり、蹴ったりしますので、その時に、止めさせるために本人を抑え込むようなことをしないで、距離をとって、様子を見てください。そして、ヘルパーさんが行ったように、何か温かい飲み物やちょっとしたお菓子などを指し出だすと良いのかもしれません。ある介護者の方は、そのときに本人を抱きしめて「大丈夫よ」と言いながら背中を軽くたたいてあげるそうです。
破局反応は、今の状況が辛く、恐く、悲しく、自身ではどうにもならない焦燥感から来るものです。その心の内を感じることで、対応が見えてくるかもしれません。本人と介護者との間には、いろいろな関係性がありますが、介護者が一緒になって興奮するのでなく、そっと寄り添って上げてください。
ユッキー先生のアドバイス
破局反応の様な激しい怒りの行動は、介護者にとっても驚きです。むしろ対峙してしまい、介護者自身も怒り心頭になり、興奮してしまうことがあります。そして、そのような負の経験が介護破綻につながるのも理解できます。しかし、ご本人の内面は「助けて」のサインなのです。そのサインに気づいてあげてください。
とはいっても、すべての介護者が冷静な対応ができるとは限りません。しかし、時間が経って、その時のことを振り返った時に、今後もこのような状況が続いても介護を継続できるのか、それともできないのかを自問してみてください。もし継続介護が難しいとの思いが強く現れたら、プロの介護者と介護をシェアすることを考えてみてください。破局反応は繰り返されることが多く、その対応は大変で、家族介護者が1人で何もかも出来るものではありません。他の家族やプロの介護者とシェアしながら、対応していくことを考えてください。
信友ディレクターがあの映像を配信してくれたことで、認知症の人のこころのうちを感じ取ることができました。お母様の苦しくて、辛いこころを癒すのがご主人でした。私を含め、認知症の医療・ケアに携わる者は、決して家族になれないという自覚と、本人の不安や辛さを感じプロの介護者としてそれに寄り添うケアを忘れてはいけないことを学びました。
なお、本コラムは、信友直子様のご了解を得て掲載いたしました。
(2017年10月10日)
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