第68回 認知症の人の恋愛

TVドラマ「大恋愛」の影響でしょうか、ある患者さんのご家族から「認知症の人も恋するのですか?」、また「恋愛がわかるのですか?」と尋ねられました。その質問に「当然、認知症の人も、人を好きになるし、恋もします」と答えました。認知症の経験がない私には、正確な答えを知る余地はありませんが、後になって、私の答えが本当に正しかったのか、もう一度考えてみました。

TVの主人公の診断は軽度認知障害MCIでした。この診断では、もの忘れが以前よりも激しいのですが、日常の生活には支障ありません。それゆえ、出会いによっては、当然恋に落ちることがあります。ドラマのように、アルツハイマー病の前段階の人も、診断はMCIですので恋は芽生えます。

そこで今回のコラムでは、話題のドラマに便乗して、認知症の人の恋、恋愛について、考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 恋愛に必要な能力
  2. 愛しく思う感情
  3. 恋愛するということ
  4. 認知症の人の恋愛に必要な事
  5. ユッキー先生のアドバイス

恋愛に必要な能力

恋、恋愛、愛情といった言葉は、相手に自分の愛しい感情を表すものです。その始まりは、出会いからですが、そこで生まれた感情を恋愛まで発展させる経緯は、複雑だと思います。また、「愛」と同じような意味の言葉の解釈は、ギリシャ時代のプラトンに始まり、多くの哲学者が持論を述べてきました。その様な恋愛論から認知症の人の恋をひも解くことはできませんが、臨床経験から認知症の人の恋愛を考えてみます。

認知症に必ず見られる症状に見当識障害があり、時間、場所、人の正しい認知ができなくなります。人の見当識の障害は、目の前にいる人物が自分とどのような関係にあるのか認知できなくなる障害で、その人の名前が思い出せない、といった記憶障害とは異なります。

例えば、病院で白衣を着た人を見かけた時、どのような職種の人か大体は見当がつきます。街でお店に入った時に、周囲の人が客なのか、店員なのか大方見当がつきます。これが人物の見当識です。この見当識は、時間や場所の見当識よりも認知症がやや進行した状態で障害されますので、認知症の初期や中期ごろには、さほど影響を受けないのかもしれません。

「人を恋する」は、その人との特定な関係を認知しなければなりません。過去に合った顔見知りの人物や友人などの認知には、見当識だけでなく記憶力が必要です。同様に、恋心を抱いた感情を保持するには、自分の体験した記憶であるエピソード記憶が保持されていることが必要です。認知症の主たる症状は、この記憶障害ですので、恋心を抱いても、認知症の人は、それをいつまでも保持することが難しいようです。

恋しく思う感情は、一方的なこともありますが、恋愛には、相手との相思相愛が前提になります。認知症の人の恋にも、相手の恋愛感情が欠かせません。恋慕には、相手に自分の気持ちをわかってもらう為の態度や行動が必要ですし、相手の言葉や仕草で、自分に向けられた感情を理解し、受け止めることも必要です。

それには、相手の心をときめかす身なりや会話、そして相手の気を引き寄せる仕草や態度など、これらの行動で相手の心を掴める、と予測して、計画的に実行する能力が必要です。これが遂行力ですが、残念ながら認知症の人は、この能力を十分発揮できないので、企てた目的の達成が難しくなります。

その他に、適切な判断や相手の言葉や思いを理解する能力も必要です。すなわち、恋愛するのは、認知機能の中核であるコミュニケーション能力を働かせなければなりません。その能力が衰えてくるのが認知症ですから、認知症の人は恋愛ができない、とも考えられます。

愛しく思う感情

感情とは、様々なことを感じ抱く気持ちで、代表的なものに六情と言われる喜・怒・哀・楽・愛・憎があります。その他に、恐怖、恨み、驚き、満足、恥など沢山の感情を表す言葉がありますが、それらは、脳が関与し、思考や認知と密接に関係します。また。心臓がドキドキする、冷や汗をかく、呼吸が苦しくなる、などの身体機能にも関係します。

では、認知症の人は、愛しく思う、胸がときめく、いつも一緒にいたい、など他の人に恋心を抱くことがあるのでしょうか。介護施設などで、いつも一緒にいる、相手の世話をよくする、いつも居室に2人でいる、2人でベッドに寝ていてスタッフが驚いた、などの話を聞くことがあります。

担当していた介護スタッフは、相手を配偶者と間違えている、と解釈したようですが、その真意は分かりません。私が介護施設の嘱託医をしていたころの経験では、比較的進行した認知症の男性入居者が、不安な表情を浮かべ、落ち着かない新入居してきた認知症の女性に、ずーと寄り添っている姿をみました。やがて、女性は落ち着き、その後、2人はいつも一緒にいるので、スタッフが両家族に気遣うほどでした。

認知症が進んで、ほとんど身の周りのことができず、意味をなさない会話が主の重篤な認知症の人でも、周囲の状況やスタッフの対応に怒ったり、悲しんだり、喜んだり、笑ったりします。また、家族がうれしそうな顔をすると本人もうれしそうですし、怒った表情ですと本人も同じ表情を浮かべます。このように、喜・怒・哀・楽の感情は失われませんので、愛しい感情も相手に向けることができ、相手からの感情も受け止められると思います。

恋愛するということ

「恋をする」には、これまでに延べましたように、特定な人を認識する見当識や記憶力が必要です。また、自分の思いを伝え、相手の気持ちを察するには、言葉による意思疎通能力が欠かせません。そこには、洞察力や理解力、判断力も求められます。二人の恋愛感を維持させるには、思った行動を計画的に順序立てて行う遂行力も重要です。すなわち、これらの能力は、人と人とのコミュニケーション能力であり、人が社会で生活するのに最も必要な能力です。

認知症は、このコミュニケーション能力が徐々に失われていきます。それゆえ認知症の人は、他者と良好な人間関係を築き、それを継続していく能力に欠けていると言わざるを得ません。しかし、アルツハイマー型認知症の人の中には、初対面の人に愛想よく振る舞い、感情面で気配りして、相手と良い関係を築こうとする人もいます。このように、感情の表出は認知症になっても残りますが、その後、良好な関係を維持しようとする行動は難しいようです。

これまでの説明で「認知症の人も恋するのですか?」「恋愛がわかるのですか?」の質問に対する私の回答に納得いかない人も多いと思います。確かに、お互いに相思相愛の恋愛を継続するのは難しいのかもしれませんが、相手に恋心を抱くことは可能です。それは計画的な行動を伴わない一方的な感情ですので、怒ること、笑う事、泣くことと同じ感情です。

認知症の人の恋愛に必要な事

認知症の人の恋愛で難しいことは、自分の思いを行動に示すことや言葉で伝えることです。相手の思いを汲み、相手が悦ぶことを行うこと、そのような行為は早い時期からできなくなる、と言ってよいでしょう。しかし、愛しい感情は生まれ、浮き浮きした心の高まりや胸が締め付けられるような思いは、認知症になっても生まれます。

どんな恋愛も、お互いにその感情を育む(はぐくむ)ことがなければ発展しません。認知症の人の場合も同じですが、ここで大きく異なるのが、認知症の人は、自身で恋愛感情を育む手段を講じることが難しいのです。すなわち、愛しいと思う感情をいつまでも持ち続け、さらに発展させることができないのです。

認知症の人の恋愛は、その時、その時の出来事であって、一枚の写真のようなもので、ビデオのように連続していません。その一枚一枚を繋げるのが、相手の方の存在であり、周囲の人の思いやりです。認知症は、過去と現在と未来が連続する感情の営みは困難になりますが、心の中に生まれた今の感情をいつまでも感じることはできます。

「愛しい」と思ったその時のことは残念ながら覚えていません。しかし、そこでの心地よさ、穏やかさ、そして歓びに満ちた感覚は心の中に残ります。別の日に、同じ人に、同じ感情を抱いても、初めての感覚なのでしょう。しかし、いつ、何処で体験した感覚か思い出せなくとも、次の瞬間、心地よい感じ、安堵する感じ、そして、初めてでない慣れ親しんだ感覚が生まれてくるのです。

夫婦の愛と恋愛とは、異質なものなのでしょう。でも、思い、愛しむ感情は、同じと思います。今年の春ごろ公開されたヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドが共演した「Long, Long Vacation」、そして今年の11月に公開される信友直子監督の「ぼけますから、よろしくお願いします」は、アルツハイマー病の配偶者と世話する夫婦の物語です。

この2つ映画は、老々介護に主眼をおいた物語というよりも、人生の苦楽を共にしてきた夫婦の一方がアルツハイマー病に冒されても、最後まで二人は夫婦、と言うことが伝わってくる感動的な物語です。この映画を見た私の感想は、例え認知症に冒されても、配偶者への思い、愛しさは、以前と変わらない。認知症の人の愛の表現は変わっても、二人で育んできた愛の世界は変わらない、と思いました。

認知症の人の恋愛に必要なのは、過去から未来への時間のつながりをしっかりと導いてくれる人の存在です。過去の「愛しい」という感覚を抱いた日々を忘れてしまっても、今一緒にいる空間の愛しさと心地よさを実感させてくれる人、将来の自分を見定めることができなくなっても、安心して寄り添っていられる人、そういう力を持った人が認知症の人には必要です。

ユッキー先生のアドバイス

若いころの自分の感情を思い出してみると、愛しい心を寄せた人への感情表現や振る舞いは、自身の思いを達成するための手段、悪く言えば策略だったように思います。「ダメになったらどうしようか」と思うと、相手の気持ちを引き寄せるための虚もあれば、偽りの行動もありました。恐らく、認知症の人の恋愛には、私のように、策を講じることや偽りの行動が存在しないのです。

ここで使っている「恋愛」という言葉の意味を正しく理解しているわけではありませんが、私の思う恋愛は、恋に芽生えて、愛しい気持を抱き、お互いに確認し、育むもの、と考えます。認知症の人の恋愛は、愛しい気持ちを育む手段を相手に委ねることで、愛が育むと確信します。


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