第36回 認知症の人の世界~来る日の戸惑い~

認知症の人を「何を考えているのかわからない」、「何も考えないから幸せ」と思っている人たちがいます。また「すぐ忘れるから言わない方が良い」「間違っていても否定しない方がいい」など、認知症の人の対応について、あたかも本人の代弁者のように説明する人たちがいます。

私たちは、高熱がある時の辛さを知っていますし、電車の中でお腹が痛くなった時の苦しみも知っています。もし、そのような症状を訴える人が傍にいたら、優しく寄り添い、看病してあげようと思うでしょう。

それは、その人の苦しみを以前に体験したことがあるから理解できることで、また少しでも苦痛を取り除いてあげようと思いやることもできます。しかし、多くの人は、認知症という病気を体験したことがないので、彼らの思いや病気への苦痛を理解することは大変難しいと思います。

最近、ある認知症に冒された女性の心境を綴った日記をご家族の厚意で見せていただくことができました。そこでこのたびのコラムでは、認知症の人の世界について考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. ある老婦人の日記
  2. 来る日の戸惑い
  3. ユッキー先生のアドバイス

ある老婦人の日記

享年85歳の井坂淑子さん(仮名)は、X+2年の3月に盲腸がんが発見され、その年の6月に他界されました。その淑子さんが書き残した日記のような、メモのような走り書きが、のちに発見されました。淑子さんは、妹の美奈子さん(仮名)と2人で生活していましたので、美奈子さんの娘さんの後藤幸子さん(58歳)が、2人の生活を見守っていました。
ここで、ご家族のご承諾を得て淑子さんの日記を公開いたします。まずは、淑子さんがお元気な時に一人で箱根の別荘に行った時の日記を一つご紹介します。

〔X-2年5月25日〕
今日こそ蜂の巣を取り除こうと思って朝から注意していたら、働き蜂か女王蜂かわからないけど、巣の直径が2㎝程度なのに蜂は2㎝ぐらいの大きさに驚いた。なんと大きな体に小さなグレイの巣だろうか。わからないが…
午後2時半にふと見たら巣がない。どうしたんだろう。あの蜂どこへ行ったのかしら。そのあたりに落ちていないか探してみたけれど、誰かが網戸を開けて蜂の巣を取り除いたのかどうかわからないけれど、自然にとれたならいいのだけど…
なんでも思うように行ってくれたら本当に良いのに…

それから約2年後の淑子さんの心境がメモのように手帳に書き残されていました。その当時の心境をご紹介します。

〔X年1月28日〕
歯医者さんに支払った時に手持ちが不足した為、幸(姪)さんに借金した件につき、返済を何時、どれほど返済したか聞くこと。忘れたら、何してるのかしら。

このまま日々、何もなかったように送っていって、遠からず、自分を見失って死んでいく。脳が破かいして、今はもう普通でなくなって、半分以上過ぎているのかな?できることなら、普通のうちに、自分が破壊しないうちに、人生を終了できたらいいな。

私は、何も隠しごともせず、馬鹿の様に正直に暮らしてきたと思う。私の生活だって、今の老婆で終了かな。一つくらい「ヒミツ」があっていいのに。何もなく、秘めることもなく、スリルというか、自分も人も楽しませる様な笑いもなく…。皆そうゆう風に一生を送るのかな。皆で「人生そうだったの」と笑って終了という様なことないのかな?そんなことやっぱりあるはずがないよね。

私、秘密なんてなにもない?すべてを忘れていたら、切れてしまったら、どうするの?全部美奈子氏に話してあるはずだけど??わかってもらっているのかな。実は何もないからそれだけなのね。

〔X年2月14日〕
幸さん(姪)の車で病院まで送ってもらい、色々老いぼれた私の面倒を見てもらう。心強い。子供のころ面倒を見ておいてよかったと思う。美奈子氏(妹)も幸さんも頼もしい親子、よく似たところがあるも、よかった としみじみ思う。私は、と言ったら、なさけない。こんなに早く老人呆けになるなんて、情けなく、悲しい。

老いてみて、母の心がしのばれて。もっとやさしく、親孝行をしておけばよかったと、しみじみ反省させられて涙がでてこまった。

〔X年2月27日〕
幸さんと美奈子さんと三人で病院に行った。朝方、色々の物が整理されていなくて頭が混乱。我ながら病気のおそろしさになさけなく思う。次回は、ちかって用意周とうにしなければ、と非常に悲しく、つらい思いだった。次回の用意は何もしていない。

〔X年3月1日〕
お母さんのおはか参りに行くのに切符を買っておかなければならない、と美奈子さんにいわれる。私は、頭がおかしいので、昔は1人で行ったのだから(あなたの切符は)必要ない、と言ってしまった。失敗、どうしょうか。

〔X年3月3日〕22時49分
これから床に就こうかしらと思って、ふとバッグの中を見るとメグ(猫)が私をじっとみつめている。とても可愛くて、ここ二三日メグの事を思い出していた。いい子だったね。メグちゃん、さあもうねましょう。ずっと、ずっとメグの事をわすれないよ。

〔X年3月5日〕
毎日、目が覚めると次々多忙。
洗濯ものは出来てもなかなかアイロンかけまでできないで山の様に部屋に重なっている。 段々重症になってくる。そのうち1人どこかに行って、わからなくなるとか。昔聞いたいろいろな呆け老人の話が思い出されて、今の自分であると思うと情けない気がする。

美奈子さん、お雛様をもって帰り、自宅に飾ったそうな、よかったね。

私は、とうとう気が変になってしまった。体が丈夫で頭が変なんて嫌ねと幾度も友人達と話していたことが昨日の様に思い出される。でもよく考えると、ずっと前からちょっとおかしかった様な気がする。

今頃になって誤るなんて、やっぱり私は気がおかしい。

3月5日の続き お天気 快晴

明日から美奈子氏にお願いしてお薬は朝晩別々にもらって飲む方が良いように思われる。私の考えで確かですから。気が変な人は信じられないから。

〔X年3月6日〕
①予定 30日のホテルの予約代支払うこと
②アイロンのかたずけ
朝、目を覚めるとメグ(猫)がじ~と私を見ていて私を心配しているのかな? 動物って、そんなところがよくあるから。
ぼけおばあちゃん、今日も頑張ろう

〔X年3月17日〕
7:00頃目が覚める。昨夜、美奈子氏、夜外出、何時ごろかわからないが、朝方帰宅したように思う。それぞれ多忙なのに、私が寝ていて気の毒。患部、盲腸あたりと思われる。

〔X年4月28日〕晴れ
私の手元にあった現金 全部なくなって財布の中には残り28万5千円になってしまった。以後銀行に行かなければならず、神経を使うことになって大変。まあ、以後がんばらねばならない。

来る日の戸惑い

2年前に箱根別荘で書かれた日記には、淑子さんの豊かな内面が綴られています。どのような種類の蜂かはわかりませんが、当時の鋭い観察力や蜂を擬人化したご本人の気持ちが伝わってきます。

最初の日記から約2年後のX年1月には、脳が壊れて行くことを察し、いずれ訪れるだろう、これまでに体験したことのない世界へ押し流されていく恐怖と不安と向き合う心の動きが表現されています。

淑子さんの「脳が破壊」「自分が破壊」していくと表現した背景に何があったのでしょうか。恐らく、もの忘れだけでなく、自身の日常の混乱や、今までの自分と違う自分に変わっていく恐怖と、それを阻止することのできない苛立ちがあったのでしょう。「死んでしまった方がよい」「笑って済むことであればよいけれど・・」「自分の心の中の秘密」、これらの表現の中には、淑子さんの認知症と向き合っている心の葛藤が見られます。

また、家族への気遣いが痛いように伝わってきます。唯一の身内である妹さんへの気遣いには、「自分の壊れて行く姿を見せたくない」との思いと、「何とか助けてほしい、見守ってほしい」との思いが入り混じって複雑な感情を寄せています。姪の幸子さんには、「迷惑をかけているのではないか、申し訳ない、でも頼りにしている」との心のつぶやきが聞こえて来そうです。

日々の張りつめた時間の中で、最も気が許せるのが猫のメグの存在です。彼女にとってのメグちゃんは、心のよりどころなのでしょう。また、崩れて行く自分でも、唯一傍にいて、いつも見守って上げられる存在で、何よりも彼女自身が頼りにされていると実感が持てる存在なのでしょう。

淑子さんの不安を最もよく表現しているのが、「現金が全部なくなった」と書きとめた日記でしょう。認知症の人だけでなく、多くの高齢者が訴える不安の直接の原因は、お金が無くなることです。自分の認知機能が衰えて自身が失われることと、お金が無くなって生活ができなくなることとが、どこか関連するものを感じます。 次回も、さらに淑子さんに襲いかかる認知症の恐怖をご紹介しながら、認知症の人の心の世界を感じたいと思います。

(画像はイメージです)

ユッキー先生のアドバイス

井坂淑子さんが綴った日記から、認知症の人の心の世界を多少なりとも垣間見ることができたでしょうか。認知症の人の介護を現在も行っている方でしたら、その人の最初の頃の心情を思い浮かべると、きっと思い当たる状況があったように思います。あるいは、その人の心情に今初めて気づかれた方もいるかもしれません。

これまで認知症の人と接した体験がない方は、この日記を読んで何を感じられたのでしょうか。脳が壊れていくこと、生活ができなくなっていくこと、そして近い将来、どのような自分に変わっていくのか、その恐怖を少しでも汲み取っていただけたでしょうか。

私は、井坂さんの日記を読んで、これまでの臨床経験で感じていた患者さんの内面に存在する不安や恐怖がいかに表面的なものであったかを知らされました。井坂さんは、恐らく認知症に対する深い知識があったわけではありません。にもかかわらず、自分の日々の行動の変化から「脳が壊れて行く」ことを察知し、その不安と恐怖に向き合って過ごす日々は、想像を絶する辛い心情であったことが日記の行間から感じることができました。

次回では、もう少し淑子さんの日記をご紹介し、認知症になっていく彼女の心情に触れてみたいと思います。


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