ユッキー先生の認知症コラム

認知症専門医として、大学院教授として、認知症とどう向き合うか、ユッキー先生が語ります。
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第33回 家族による虐待 ~男性介護者の場合~

厚生労働省が実施した「平成25年度高齢者虐待防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査」では、家族虐待者のうち、41%が息子で、約19%が夫でした。前回は介護者妻の虐待について実例を紹介しながらその要因について私の意見を述べてみました。この回では、息子ならびに夫の虐待について考えてみます。

ある介護殺人事件

息子の認知症高齢者虐待で思い起こすのが2006年2月1日の未明に京都で起きた介護殺人事件です。この日、54歳の無職の男性が同居していた認知症の母親(86歳)を京都桂川の遊歩道で首を絞めて殺害し、自身も首などを切り自殺を図ったのですが未遂に終わった事件です。

この事件についてはTVや新聞で大きく取り上げられましたので、記憶されている方も多いと思います。また、ネットでも多く取り上げられ、在宅介護現場の悲惨な現状や福祉政策への批判など、多くの意見が交わされました。事件の詳細についてはここでは触れませんが、事件の概要を説明します。

認知症の母親を介護していた息子は、介護のために本来の職場を辞め、介護しながら仕事ができる職を探しました。しかし、職は見つからず、また生活保護も受けられず、日々の生活が困窮していったのでした。そして、手持ちのお金が無くなった日に母親を連れて桂川の遊歩道に行き、そこで未明にその首をしめ殺害した事件です。

その年の4月に京都地裁で公判が始まりました。そこでは、息子が母親を殺害する経緯が明らかになり、その悲劇に裁判官をはじめ傍聴者からすすり泣く声が聞こえたとメディアは報じていました。

ここで、私が注目するのは、息子が法定で述べた心情「母の介護はつらくはなかった。老いていく母が可愛かった」でした。介護が必要な認知症の配偶者や親に対し「可愛いい」と表現する心情には、幼い子への感情、小さな子が自分の気に入った人形を離さずに抱いているときのおもい、さらには愛犬や愛猫が自分になついてきたとき、などの感情を表現する言葉として「可愛い」があります。その言葉は、かわいがる対象が自分の意のままになる時によく使われます。その反対に「可愛くないの」は、意のままにならない相手に使う言葉です。

息子の介護と虐待

ここで私の臨床経験から認知症の母親を介護する息子の介護虐待パターンをご紹介しましょう。

1)息子のお仕置き

Aさんは、父親の他界後、家業の酒屋を母親の倫子(仮名)さんと二人で守ってきました。結婚し、子供たちも独立し、今はAさん夫婦で酒屋を経営しています。2年位前から倫子さんが会計を間違えるようになったので、店に出ないようにAさんが忠告したのですが、その頃から隠れて店のビールを飲むようになりました。倫子さんはもともとビールが好きでしたが、最近になって、酔っぱらうとAさんの妻のことを「あいつが財布から金を盗んだ」「食事を食べさせてくれない」「夜な夜な知らない男を部屋に引き込んでいる」などと攻撃するようになりました。そこで、Aさんは、ビールをやめさせようとしたのですが、実際のところはビールを取り上げることもなく、ただ困っているだけのAさんでした。

ある時に、店でビールを飲んでいる姿を見たときに、ビールを飲んではいけないことをわからすために、体罰の意味で倫子さんの頬を叩いたのです。その時に倫子さんは「許しておくれ、許しておくれ、ごめんよ、ごめんよ、お前の言うことは聞くよ」とAさんに縋って泣きじゃくったのでした。その姿をみて、思わず母親を抱きしめ「もうビールはよそうね、身体を壊すといけないからね」と声かけたのです。

Aさんは「母親が認知症になって、私を頼りにしてくれるので、可愛くてしかたありません。そんな母親が私の言うことを聞かないと、ついお仕置きしてしまうのです。」とその時の心情を語っていました。

2)息子の躾(しつけ)

Bさんは、ある団体の幹部職員で、認知症の母晃子(仮名)さんと妻の3人暮らしでした。これまで、妻が晃子さんの世話をしていたのですが、Bさんが、比較的仕事に余裕ができたことから、晃子さんの介護を手伝うようになりました。ある夕食時に、晃子さんの食べこぼしや食事の最中に食べ物で遊んでしまう姿を見て、Bさんはとても不快に思いました。妻は「いつものことですよ」と何も言わず、スプーンで食べさせていました。そこでBさんは、食べこぼさないように、途中で食事をやめないように、茶碗、お皿、箸をうまく使えるようにと、隣に座り、訓練することにしました。

それからBさんは、食べ方を忘れたのならばもう一度はじめから教えるといい、と子供の躾のような思いで晃子さんに接したのでした。その効果なのか、Bさんの教え通りに箸を持つようになり、一人で食べようとしましたが、やはり食べこぼしは多く、途中で箸を置いてしまうのでした。当初、穏やかに接していたのですが、だんだんBさんの口調が荒くなり、右手を叩き、強い言葉使いで注意し、それでも駄目な場合は、背中を強くゆすったりしたのでした。その姿を傍で見ていた妻が「お父さんのやることは全く子供の躾だね」といって制止したのでした。

3)息子のメンツ

息子Cは、ある会社役員を務め、多忙な日々を送っていました。その妻は、小学校の教員で、2人の間には子供はいません。そんなある日、福島の父が急性心筋梗塞で急死したのですが、残された母親民子(仮名)さんは認知症でした。Cさんには姉がいますが、乳がんを患い、先月手術をしたばかりなので、母親の世話を頼める状況ではありません。父親の葬式が終わってしばらくはショートスティにお願いしたのですが、Cさんの思いもあって、東京でしばらく民子さんを世話することにしました。

C宅で介護を初めた翌日に、民子さんは外に出て行ってしまったので、Cさん夫婦が慌てて近所を探しまわりました。幸い近くで見つかったのですが、そのことがあってCさんは、母親を一人にしておけないことを実感し、Cさん夫婦が家を空けるときは、鍵を閉めて民子さんが外出できないように工夫しました。妻は、介護施設に入所させることを提案しましたが、「福島の親戚にみっともない」と拒否しました。しかし、その数日後に、民子さんは窓から外の人に向かって「助けてくれ」と叫んだのでした。その時Cさんは、咄嗟に部屋の柱に民子さんを縛ってしまいました。学校から帰宅した妻は、その光景を見て、Cさんに「あなたのメンツのために、お母さんも、私もボロボロよ」と訴えたのでした。

息子の虐待の意味

京都介護殺人の息子の心の動きについて、私なりに分析してみました。最初は、子としての義務感から母親の介護を始めたのですが、認知症の進行とともに、母親との関係が徐々に変化していきました。息子にとって認知症の母親は、周りの人間の中で唯一自分に従い、自分が思うようにできる愛しい存在に変わっていったのです。人が人を殺害するには大変大きなエネルギーを必要としますが、恐らくこの息子の殺害は、無論激しい怒りや憎しみの感情ではなく、自身の強い帰属意識から「自分だけの母親」を完璧にしたかったのかもしれません。それが殺害という究極の選択に発展したようですが、その背景には確かに貧困という生活苦がありました。一般にはその対応に社会的援助を求めますが、この息子には、周囲の介入を積極的に受け入れられない感情があったのかもしれません。すなわち、自身だけの愛しい母親を他者に奪われることを嫌い、恐れたのかもしれません。この息子が法廷で言った「母の介護はつらくはなかった。老いていく母が可愛かった」の言葉がそれを物語っていると思います。

認知症の母親を介護する息子の虐待の背景には、幼い子供が母親を一人占めしたい思いから「お母さんなんか嫌いだ、いなくなっちゃえ」に似た、相反する葛藤が生じるのです。母親を独占したい思いと、それが叶わなかった時の相反する感情として、「許せない」との思いが暴力に発展するのではないでしょうか。それが度を超すと殺人まで発展します。

また、私の経験した典型的な息子の虐待事例をご紹介しましたが、そのタイトルを「息子のお仕置き」「息子の躾」そして「息子のメンツ」としました。これらの事例に共通するものは、幼いころ母の胸に優しく包まれたぬくもりが蘇り、介護をする側とされる側の立場の逆転に戸惑う姿です。息子達の母への想いは、これまで自分に注がれてきた母の偉大な抱擁力であり、その母が自分にした「お仕置き」や「躾」は、もとの母に取り戻す最良の手段と考えたのでしょう。「息子のメンツ」も親戚や世間へのメンツもありますが、むしろ幼いころ、息子にとって最も輝いていた母親のメンツを守るために、息子が取った手段かもしれません。

夫の介護と虐待

坂口清さん(仮名:72歳)が、アルツハイマー型認知症の妻、歌子さん(仮名:70歳)の介護をはじめて3年が経ちました。当初は妻の日常での混乱に驚き、注意し、叱責し、また訓練もどきこともしてきました。専門医を受診しアルツハイマー型認知症と診断されてからは、これまでの妻に対する態度を改めようと、認知症介護教室、講演会など、ケアマネジャーが勧めるあらゆる集まりに出席し、家族の会にも入会しました。ただ、清さんが頑固に断ってきたのが歌子さんのデイサービスへの参加です。一度、見学に行ったのですが、妻が参加を強く拒否し、また清さんも妻を参加させる気になれなかったのでした。ケアマネジャーは、清さんの休息の時間も必要と説得したのですが、清さんは「妻が傍にいた方が気持ちも楽ですから」と断ったのでした。

周囲からみて、清さんの介護は模範的で、家族会の集まりでも毎回話題になるほどでした。また、隣近所の主婦たちも清さんが歌子さんの手を取って買い物に行く姿をみて「あんなやさしいご主人はいない」と称賛するほどでした。このような状況に清さん自身は満足し、歌子さんの介護のことよりも清さん自身の振る舞いが周囲にどのように映るのだろうか、と気にするようになったのでした。

月1回の家族会の集会に出席した時のことでした。清さんが家族会の活動に気を取られていたら、ある家族が歌子さんの失禁に気付き、周囲が尿で汚れたため、ちょっとした騒ぎになりました。これまでこのような失禁は無かったので、清さんは着替えを持っていませんでした。困惑し清さんの様子を見ていたある女性介護者が、労う意味で「やっぱり、男の人ですからね」と声をかけたのですが、清さんにとっては自分が非難されたように思えたのでした。

それ以後、清さんは歌子さんの失禁のこと、衣服こと、食べ方などに一層の注意を払うようになりました。しかし、2度目の失禁は、スーパーでの買い物の最中でした。そこにいた買い物客が失禁に気づき大騒ぎになりました。その時の周囲の清さんを見る目は、家族会の時とは異なり、大変厳しいものでした。

このことがあって、清さんは歌子さんを連れて外出することをやめました。清さんが1人で外出しようとすると、歌子さんが後を追いかけてくるので、清さんは、今までにない大きな声で歌子さんに罵声を浴びせたのでした。それに対して歌子さんは清さんに殴りかかったのでした。このようなことが何度か繰り返されたある日、清さんは殴りかかる歌子さんの手首を強くひねってしまったのです。痛みで苦悶する歌子さんの顔と、形が変形した手首を見て、清さんは自分のしたことの重大さに気付きました。すぐに病院に連れて行ったのですが、右手首の捻挫、骨折と診断されました。

夫の虐待の意味

認知症の妻を介護している夫には、いろいろな思いがあるようです。妻に対する愛情、今までの感謝、恩返し、罪滅ぼし等であり、また自身の自己満足や体裁もあります。その思いは、夫を介護する妻とは、異なるようです。ここで紹介した清さんの場合は、当初妻の認知症に対して何とか世話したいと思い、いろいろな勉強会に参加しました。その熱心な姿に周囲は称賛し、その称賛が清さんの励みになり、介護を続けることができたのでした。このようなパターンは夫の介護者によく見られ、夫介護者の特徴かもしれません。周囲の人は、認知症の妻の世話をしているご主人の姿をみて「男の人なのに偉いわね」「夫の鏡、奥さんは幸せね」などの称賛の言葉を浴びせます。するとその夫は、優しい夫、正しい介護、そして皆が羨む人、そのすべてを演じようとするのですが、そこには妻への思いよりも自身の体裁や見栄が見え隠れしているのかもしれません。

そのような状況がうまくできている間は良いのですが、自分の意のままにならなくなると、「周囲にみっともない」との感情が生まれ、それが自己嫌悪や妻への憎悪となり、虐待に繋がったのかもしれません。

 

男性介護者の虐待を防ぐには

息子や夫の虐待には、自己の正当性を強くアピールする姿がみえます。京都の介護殺人の息子は、一生懸命介護してきたのに社会が追い詰めた、と叫び、その声に裁判官や傍聴人は共感したのでしょう。また、「お仕置き」「躾」「プライド」を掲げて虐待に及んだ息子達の自己正当性の裏には、彼らの思惑、体裁そして自己満足など、介護を実行する為の自身の理由があったようです。この姿勢は、夫の介護者にも見られます。自分の母や妻の世話は、女性の介護者ように必然的に始まるものでなく、むしろ「自分がすべき」という思いから始めるのではないでしょうか。

そして、もうひとつの特徴として、虐待に及んだ息子や夫の介護者には、信頼できる補助介護者がいないことです。むしろ“置かないようにしている”と表現した方が良いのかもしれません。大変な介護をサポートしてくれる人間がいることは、その介護負担を軽減することはだれしもが認めることです。この男性介護者たちもそれを認めていたのでしょうが、そうすることにプライドが許さなかったのかもしれません。

以上の男性介護者の特徴から、彼らの虐待行為への徴候を見出すことはて重要です。まずはその兆候として以下の点に注意してみてください。

  1. 1.身近に介護を助けてくれる補助介護者がいない
  2. 2.社会資源の活用や他者の援助を好まない
  3. 3.閉鎖的な介護環境が伺える
  4. 4.正しい介護をしようと努力する
  5. 5.周囲に気を使うことが目立つ
  6. 6.介護される人との良好な関係を強調する
  7. 7.毎日の介護がうまく行っていることを話題にする

これらは私の臨床経験からの気づきで因果関係が立証されたわけではありません。ここに当てはまる全ての人が必ず虐待に及んでいるわけではありませんが、このような介護者に遭遇したらどのようにしたらよいのでしょうか。

もっとも重要なことは、信頼おける支援者の存在をいち早く確保することです。しかし、その支援者との関係構築は、容易でないことが多いようです。特に支援者が家族でない女性の専門家の場合は、異性に対する身構え、本音を語ることの躊躇や遠慮、あるいは支援者への不信などの偏見が存在し、なかなか受け入れようとはしません。

そこで重要なのが、このようは男性介護者の特徴を理解したうえでのアプローチです。それにはまず最初から信頼を得ようと力まないことです。男性介護者との距離を見定め、時間をかけて徐々に信頼関係を構築するのです。介護者の生活状況、介護力(補助介護者の有無、健康状態、介護される人との関係性)の把握に際しても、当初は挨拶程度でも頻回に顔を見せることが重要です。そこでは、介護方法や社会資源の利用など本人が必要と思っていない情報提供を無理に押し付けないことです。

本人が、困り事や疑問に対して答えや助けを求めてきたら、それは関係が一歩前進した印です。そこで慌てて正論を述べたり、支援者の考えを押し付けたりしてはいけません。介護者自身が答えを見いだすように話にじっくり耳を傾け、そして語っているうちに、自分で答えが見つけられたとしたら、それは、介護者にとっての大きな気づきになります。この気づきが、自身の行動を変えて行くのに重要な要因となります。

【ユッキー先生のアドバイス】
第30回から4回にわたって介護者の虐待について私の臨床経験から述べてきました。無論お気づきと思いますが、プロの介護者の虐待と家族介護者の虐待では、その質は大きく異なります。どちらも決してやって良いことではありませんが、家族介護者の虐待の真相を思えば、家族介護者自身にとっても悲劇です。虐待は、受ける方も大変な屈辱ですが、それを行っている家族の苦悩、葛藤、自責等の思いも計りしれず、大きな心の痛みを残します。

人と人とが向き合う介護における虐待の問題は、今後も付き纏うかもしれません。将来的に虐待行為がなくなることは夢物語かもしれませんが、その行為を止めることはできます。それには虐待の徴候にいち早く気付き、その介護者に温かい目と手を差し伸べることでしょう。プロの介護者に必要なことは、家族虐待者への非難でなく、介護者の心の苦痛に寄り添うことです。

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