第70回 前途多難な抗認知症薬

我が国で開発されたドネペジル塩酸塩(商品名:アリセプト)が厚生労働省で認可され、発売されたのが1999年11月でした。その後2011年春からガランタミン(レミニール)、リバスチグミン(イクセロン、リバスタッチ)、メマンチン(メマリー)が相次いで発売され、全ての抗認知症薬がわが国でも承認されました。

ところが昨年(2018年)8月、フランスの医療技術評価機関である高等保健機構(HAS)が、4種の抗認知症薬の臨床効果は不十分と結論付けました。この結果を受けてフランス保健省は、それらの薬剤を医療保険適応外薬と決定したのでした。この衝撃的なニュースは、当事者や家族をはじめ、わが国の認知症医療に大きな波紋を投げかけました。

そこで今回のコラムは、抗認知症薬の現状と課題について、また新薬の開発状況について解説します。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. どうなる抗認知症薬市場
  2. 抗認知症薬は効果がないのか
  3. 既存抗認知症薬の行方
  4. 前途多難な新薬開発
  5. ユッキー先生のアドバイス

どうなる抗認知症薬市場

本コラム第13回から3回にわたり、4種の抗認知症薬の薬理作用や効果について述べましたのでご参考ください。

我が国の抗認知症薬市場は、富士経済の予測ですと、約10年前の2013年は1,380憶円であったのに対し、2022年の売り上げは2,420億円に達し、1,000憶円以上拡大することが見込まれています。

このように我が国の抗認知症薬市場は増加の一途を辿っています。その要因として、2011年3月以降相次いでアリセプト以外の3種薬剤が発売されたこと、さらにはジェネリック医薬品の登場で薬価が安くなったことなどが影響しているように思います。

東京都医学総合研究所の奥村泰之先生によると、2015年から2016年の間に、85歳以上の高齢者の約17%が抗認知症薬の処方を受けているとの報告から、後期高齢者の抗認知症薬服用は、ごく一般的となりました。

フランスのように、市場で大量に使用されている薬剤が製造・販売中止となった例は、過去にわが国でもありました。1998年(平成10年)5月20日に厚生省(現・厚生労働省)は、緊急医薬品情報を発表し、脳卒中(脳梗塞・脳出血)後遺症あるいは脳循環障害の改善を目的に開発された脳循環代謝改善薬の再臨床治験を実施したところ、その有効性が認められなかったことから、同系統の多くの薬剤が製造・販売中止となりました。

当時、私もこの薬を多くの患者さんに処方しておりましたので、突然の販売中止に当惑しました。今まで「効果あり」と説明していた薬を突然効果がない薬として処方中止を余儀なくされた訳ですから、患者さんをはじめご家族は大変戸惑っていました。

恐らく、ドネペジルが発売されて20年が経過しますので、今後抗認知症薬の再評価試験が実施される可能性は大きいように思います。仮にフランスと同様に、その有効性が認められない結果が出たとすれば、保険適応外の薬として一般臨床から姿を消すことも考えられます。

抗認知症薬は効果がないのか

では、実際に抗認知症薬は、効果がないのでしょうか。これまでに抗認知症薬は、アルツハイマー型認知症の進行抑制に効果的と言われ、ドネペジルは約9ヶ月から12ヶ月間の進行抑制が臨床試験で確認されました。また、アルツハイマー型認知症に伴う行動・心理症状BPSDの発症を抑える効果も報告されています。

ドネペジルは、副作用として服用初期に「落ち着かない」などの行動上の賦活が指摘されていますが、6ヶ月以上の長期服用により、大声や早口で喋る、興奮、破壊行為や他人への脅迫行為などの行動が減少した、と2000年に報告されました。またドネペジルの長期服薬で、鎮静剤投与の機会が減少したとも報告され、本剤は異常な行動の出現抑制に効果がある、とも言われています。

フランスのアルツハイマー病患者を対象に行われた2011年の調査では、ドネペジル塩酸塩を1年間服用することで、海馬の委縮が45%抑えられた、と報告されています。また、アルツハイマー型認知症の初期に服用することで、その後の医療費や社会的費用が軽減されることも英国の研究機関が発表しています。このことはドネペジルの早期服用の重要性を示唆しています。

上記の効果以外にガランタミンは、介護に要する時間が1日あたり61分、見守る時間が1日あたり82分短縮する、とのデータがあります。リバスチグミンは、日本で貼付剤として発売されていますが、ADLの改善が報告され、メマンチンは、興奮や攻撃の抑制効果が期待されています。

今販売されている抗認知症薬に対し、フランスのように市販後の再評価のための治験が実施され、その結果「効果なし」と判定された場合は、恐らく以前の脳循環代謝改善剤のように製造が中止される可能性がありす。そうなるとこれまで抗認知症薬を服用していた患者さんは「今まで効果がない薬を呑まされていた」と思うでしょうし、他の薬剤に対しても、当然不信が生まれるでしょう。

現在の抗認知症薬は、認知症そのものを治す根治薬ではありません。また、ドネペジルは、レビー小体型認知症の症状を多少軽減する効果から適応薬剤として承認されていますが、血管性認知症や前頭側頭型認知症への効果は確認されていません。他の薬剤は、アルツハイマー型認知症だけに適応のある薬剤です。

既存抗認知症薬の行方

現状の国民健康保険は、高齢者の加入割合や医療費水準が高いこと、さらに高齢者の税収の確保が困難なこと等から、厚労省の発表では平成27年度国民健康保険は2843億円の赤字でした。この現状で、抗認知症薬の市場は年間約2,500憶円にのぼり、その保険負担が今後さらに膨れ上がる傾向にあります。そこで、仮に抗認知症薬が保険適応外薬物となると、医療費の大きな削減に繋がります。

何故、このように抗認知症薬が大量使用されているのでしょうか。あくまでも私見ですが、第一に、後期高齢者の増加に伴い認知症者の数が増加したこと、第二に、軽度認知障害MCIまた認知症の疑いがある患者など、薬剤の適応条件を無視した処方ケースが多いこと、第三に、認知症の非専門医が安易にアルツハイマー型認知症と診断し、長期間万遍と抗認知症薬を処方していること、などが挙げられます。

とは言え、アルツハイマー型認知症の確定診断はなかなか困難で、現状の臨床では、脳の画像検査や認知機能検査よる予測診断が主流です。他の認知症をきたす疾患にしても、レビー小体型認知症の幻視や、前頭側頭型認知症の反社会的行動など、それぞれ疾患特有の臨床症状がありますが、それらの所見はアルツハイマー型認知症にもみられ、臨床症状だけで鑑別することが困難な例も少なくありません。

非専門医の臨床場面では、長年かかりつけ医として関わってきた患者が生活障害をきたし、認知症が疑った時には、抗認知症薬の投与を考えます。また、認知機能テストであるHDS-Rは、実施が容易で、臨床症状の進行度合いをある程度判断できますので、高度の医療機器がない診療所でも予測診断は可能です。

今後の国民健康保険を考えると、乱用ともいわれている抗認知症薬の効果見直しは必須でしょう。フランスのように、再度の効果判定のため臨床治験が実施され、その結果によっては、抗認知症薬の製造中止もあり得ます。

前途多難な新薬開発

ドネペジル塩酸塩が1999年11月に発売された以降も、多くの製薬メーカーがアルツハイマー病の新薬開発に取り組んできました。中でも、アルツハイマー病の原因とも考えられているアミロイドβタンパク(Aβ)を脳内から除去する抗体の開発が注目されました。しかし、米国の製薬会社リリー社が開発した抗Aβ抗体の臨床治験が失敗に終わったことが2016年11月に発表され、この抗体の効果について疑問が生じたのでした。

その後、2018年10月にスペイン・バルセロナで開催されたアルツハイマー病臨床試験会議では、ドネペジル塩酸塩を開発したエーザイ株式会社が3種類のアルツハイマー病治療薬の開発に伴う臨床治験結果を発表しました。中でも、アメリカのバイオジェン・インクとエーザイが共同開発している抗Aβ抗体アデュカヌマブは、初期臨床治験でアミロイドβ蛋白が蓄積したアミロイド斑(アミロイドプラーク)値が低下し、認知機能低下が遅延された結果を発表しました。これに世界中が注目し、アルツハイマー病の根治薬の開発に一歩近づいたと誰もが確信したのでした。

ところが、2019年3月21日のプレスリリースによりますと、臨床治験結果の詳細な分析からアデュカヌマブの有効性を明らかにする根拠が乏しいと判断し、今後の臨床治験を中止することを発表しました。これまで、欧米の大手製薬会社がアミロイドβたんぱくに関連する薬剤の治験を次々と中止してきましたので、このアデュカヌマブの開発中止は、アルツハイマー病の根治薬開発がいかに困難かを見せつけられた思いです。

認知症新薬開発はまだまだ前途多難といえます。アルツハイマー病の原因は、アミロイドβ蛋白のみでなくタウ蛋白や他の因子が複雑に絡み合っているので、それらのメカニズムの解明と新薬の開発にはさらに時間が必要です。

ユッキー先生のアドバイス

この原稿が書きあがったころに、アデュカヌマブ治験中止のニュースを知りました。それまで、正直なところ、アルツハイマー病根治薬への期待が膨らみ、治験の成功も確信していました。

肺結核や癌にしても不治の病と言われた時代がありましたが、今では治療可能な病気です。神経科学の分野は、まだまだ未知の分野が多く、特に認知症のメカニズムの解明は道半ばと言えます。しかし、この度の抗Aβ抗体開発の教訓は、将来に必ず生かされ、抗認知症薬の開発につながると確信しています。


このページの
上へ戻る