第59回 認知症の人の対応~あなた、だれ?~

認知症の人を介護している家族にとって、驚き、ショックな出来事は、「あなた、だれ?」と面と向かって言われた時です。忘れることは認知症の症状と分かっていても「まさか私を忘れるなんて!」と驚きを隠せません。この言葉をきっかけに、これまで抱かなかった陰性感情が生まれ、それが日々の介護をより負担に感じさせ、認知症の人との関係を悪くしかねません。

第59回のコラムでは、「あなた、だれ?」の言葉の背景とその対応について考えてみました。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. あなた、だれ?
  2. あなたは夫でない
  3. 人物の見当識障害
  4. 人物誤認
  5. 「あなた、だれ」の対応
  6. ユッキー先生のアドバイス

あなた、だれ?

第48回コラムで私自身の母親のことをコラムで書きましたが、3年前に現在のグループホームに入所した頃のことです。私が面会に行き顔を合わせた時に必ず「どなた様ですか?」と他人行儀な挨拶をしていました。私が「あなたの息子のユキミチですよ」と答えると、「ユキミチさんは死にましたわ」といつも死んだことにされてしまいます。しばらく時間が経つと、私を息子と認識し、スクラッチの入ったジーンズを履いて面会に行った時などは、父に「お父ちゃん、この子にお金やりなさい。こんな破れたズボンを履いて、みっともない」と真剣に怒っていました。

すなわち、私と顔を合わせた瞬間は、私の顔を認識できず、しばらく時間を置くと、わかるのでした。そして、直後のことは全く覚えておらず、前からそこにいたかのような素振りで、私の名を呼び、私に話しかけるのです。

今の母は、ほとんど寝たきりで、会話も無く、父や私が面会に行っても、目を合わすだけで何も語りません。父が一生懸命に自分のことを母にわからせようとしても、時に目を逸らすことすらあります。そんな母に父は「元気になったら伊勢に帰ろうか」と、母の故郷の話をすると、母は「うん、うん」と頷くのでした。

それでもグループホームの職員は、「皆さんがいらっしゃった時のお顔は、普段と全然違いますよ」と説明してくれます。先日、父親の都合悪く、私が一人で母の面会に行った時のことです。私が母に話しかけると、ほんの一瞬ですが、口元が緩んだようでした。その時、私をわかっている、と思わせるような穏やかな顔付きを見せました。

あなたは夫でない

母は、10年前に他界した自分の弟と私を間違って認識してしまうことがありました。私に向かって叔父の名前を呼び、「お店があるから、早く帰りな」と、実家の店のことも気遣っていました。このように、ごく親しい家族を別人に認識してしまうことがあります。この症状を人物誤認と言います。

臨床でよく体験するのが配偶者を自身の親と思い込んでしまう話です。恐らく老いた配偶者の風貌は、若いころの母や父の風貌を思い出させ、見当識障害と相まって誤認してしまうのかもしれません。また、自身の子供を配偶者と誤認することもあります。ここで、人物誤認の実例を2例お話ししましょう。

夜、寝室にいた夫に向かって、認知症の妻が「こんな夜遅く女性の部屋にいてはいけません」と厳しい表情で叱責しました。夫は驚いて「俺はお前の夫だ」と言葉を返すと、「あなたは夫でない」と怒り、夫を部屋から追い出したそうです。夫は仕方なく居間でTVを見ていると、しばらくして妻が居間にやって来て、夫と目が合うと「あら、あなた、早く寝ましょう」と声をかけたのでした。夫は、キツネに摘ままれた思いでしたが、妻は、何事もなかったかの様に平然としていたそうです。

若年性アルツハイマー型認知症の夫(62歳)を世話していた妻の話です。妻が外出から帰って、夕食の支度をしていると、夫が傍にきて、妻の顔を見るなり、「なぜおまえがここにいるのだ」と怪訝な顔で妻を睨んだそうです。その数日後、妻が寝室に入って寝ようとしたとき、そこにいた夫が突然、実の妹の名を呼んで、「お前がここに来てはいけない」と妻を部屋から追い出したそうです。その時、夫は妹の名を呼び「妻の格好をしてもダメだ」と寂しそうな眼をしたようです。妻は、自分のことを妹と思い込んでいると確信し、大変ショックでした。なぜなら、夫は両親を早くに亡くし、妹が大学卒業するまで妹の世話をしていました。未だ義妹とは、家族ぐるみで親しくしているので、ありえないことですが、夫と妹の関係に不信感を持ったのでした。

人物の見当識障害

第58回コラムでは、場所の見当識障害による「家にかえりたい」についてご説明しました。今回のテーマの「あなた、だれ」も、中等度から重度の認知症に見られる人の認識を間違える見当識障害の症状と考えます。自分の目の前の人がごく親しい家族であっても、それが誰だかわからなくなる症状です。

病院の受付の職員を銀行の行員として話しかけるのも、人物の見当識障害によるものと考えます。自分の目の前にいる人間は、どのような関係の人か見当がつかなくなる症状です。私の母の場合も、しばらく会わなかった私が誰なのか、どのような人物か分からなくなり、私が息子であること主張しても、その答えが「その人は死にました」と平然と死んだことにしてしまうのです。

人物の見当識障害では、その人が認識できなくなることと、その人との関係がわからなくなる症状が主ですが、その背景には記憶障害が影響します。我々でも、人から挨拶された時に、その人が誰か思い出せなないことがありますが、名前を尋ね、自分とどのような関係か説明を受けると、思い出せます。認知症の場合は、家族と説明しても、名前を伝えても認識できません。しかし、不思議と、何かのきっかけで思い出すことがあるようです。

人物誤認

親しい人を他の人と思い込んで認識してしまうことを人物誤認と言います。見当識障害による「あなた、だれ」は、その人物が誰か認識できないことですが、人物誤認は、違う人間として認識してしまうことです。この誤認は、認知症の場合、記憶障害が関与していますが、思考の障害も関わっているともいわれています。すなわち、訂正不可能な誤った考えであり、妄想として解釈されています。このようなことから、妄想性人物誤認症ともいわれ、比較的軽度から中等度の認知症の人にも見られます。

妄想性人物誤認症には、他の人間がその人に入れ替わっていると確信する「カプグラ症候群」、実際に見ていないが、誰か家に居る、家に来ている、と確信する「幻の同居人」、鏡に映る自分の姿を見て自分と認識せず、他人として会話する「鏡現象」、TVに映る人物が実際に目の前にいる人物として語りかける「TV徴候」などがあります。詳しくは第8回コラム「認知症の妄想」をごらんください。

私の母が、私を実の弟と誤認したのは、単純に私を叔父と思ったのであって、叔父の替え玉とは確信していませんでした。ここの挙げた1例目も、寝室にいた夫を他の知らない男と思い、寝室から追い出したのです。この人物誤認は、見当識障害の「あなた、だれ」の訴えとは多少異なり、具体的な行動が伴います。

2例目は、夫の妹が妻になり替わり寝室に現れたと確信する妄想性人物誤認症です。妻の容貌をしていても中身は妹と確信する「替え玉妄想」で、このような妄想の出現をカプグラ症候群といいます。認知症に見られるカプグラ症候群は、「替え玉妄想」の色彩が薄い事例が比較的多く、記憶の不一致から生じるものと言われています。替え玉の対象は、身近な特定人物で、他の人物への誤認は少ないようです。また、この訴えは、夕方に多いのも特徴と言われています。

「あなた、だれ」の対応

「あなた、だれ」の背景には、見当識障害や人物誤認がありますが、その対応に大きな違いはありません。いずれにしても、対象となった家族は、本人の言動や行動に驚き、自分を正しく認知させる手段を講じようとします。私も、母に「どなた」と尋ねられた時は、認知症と分かっていてもショックでした。まして母は、私を死んだことにしていましたから、ショックというよりも怒りのようなものが湧いてきました。

「あなたは夫でない」と言われた男性介護者の気持ちも推測できます。夫は、あきれて何も言わずに居間に身を寄せたのでした。そして、しばらくして、妻は何もなかったかのように、夫を夫と認識し、いつもの妻に戻ったのでした。私の場合も、しばらく母の様子をうかがっていると、突然、母は私の名を呼んだのでした。

このように、突然の「あなた、だれ」に対しては、その言動や態度に振り回されず、その場を離れるか、違う話題を持ち掛けるのが得策のように思います。真剣に反論し、間違いを訂正し、真実をわからすように説得することは、かえって混乱を招きます。人物誤認は、激しい興奮や被害妄想、嫉妬妄想を伴うことがありますが、その背景には、周囲の反応への本人の抵抗とも考えられます。また、母のように、自分の息子が分からなくなった辻褄合わせに、死んだことにするような作話も見られることがあります。

カプグラ症候群の妻は、夫と妹との男女の関係を邪推し、違和感を持ち、ショックを隠せませんでした。実は、カプグラ症候群の替え玉妄想の背景には、近親相姦願望が存在する説があります。若い時から両親を亡くし、妹を養ってきた夫の意思下には、そのような願望があり、認知症となってその願望が意識下から蘇り、妄想を齎したと考えられます。そのことを妻に説明しますと、妻は納得したようでした。そこで妻は、次に誤認があった時は、「私は妻ですよ」といって、その場を少し離れるようにしました。それが有効で、時間が経って夫の前に現れても、誤認症状はなかったそうです。

ユッキー先生のアドバイス

これまで何年も一緒に暮らし、献身的なケアを施していた本人から「あなた、だれ」と懸念な顔をされた時の衝撃は、何とも言い難いものがあります。そして、数分経つと、平然としている本人の様子を見て、何だか馬鹿にされた様にも思うのです。

「あなた、だれ」は、恐らく認知症の人が異質の空間に突然追いやられたのではないでしょうか。私の母は叔父がいる昔の実家の店に、夫を寝室から追い払った妻は、夫と結婚する前の独身時代に、そしてカプグラ症候群の例は、妹と2人で苦労し一緒に生活した時に、それぞれがその瞬間にタイムスリップしたと考えると、「あなた、だれ」の行動が理解でします。ただし、真実はわかりませんね。


このページの
上へ戻る