第45回 介護離職
- 2016年9月11日と18日の2回にわたり、フジテレビMr.サンデーの番組で、現役TVディレクターとして活躍している信友さんが、認知症の母親を自身で取り続けた動画が放映されました。広島に住む両親を世話するには、仕事を辞めざるを得ない、と思い悩む信友さんの様子が、画像を通して伝わってきました。
そこで今回は、介護離職について考えてみたいと思います。親の介護を理由に離職を強いられた働き手は毎年10万人以上とも言われています。そのうちの約8割が女性で、年齢も50歳代の働き盛りで、このような経験豊富な人材が介護離職することは、大きな社会問題と言えます。
- この記事の執筆
信友さんの場合
信友直子さんは、TVディレクターとして様々な番組制作に当たり、多忙な毎日を送っています。そんな信友さんが2年前に広島の実家に帰宅した時、母親(84歳)の異変を父親から聞かされました。料理の味が変わり、いつも探し物をしている様子や夜中に買い物に行こうとする様子、食べきれないほどのリンゴが台所に買ってあったりする現実を聞いて、信友さんは母親の認知症を確信したのでした。
その後、信友さんは、ことあるごとに老いた両親の世話のために広島の実家に帰るのですが、何週間もためてある洗濯物の山、そこに寝そべってしまう母親の姿、また92歳の父親は、ごく近くへの買いものでも途中で何度も座り込んでしまう姿、毎日スーパーのお弁当を買って食べている両親をみて、信友さんは広島へ帰ることを決意するのでした。そんな思いを父親は知ってか、娘の帰郷に反対し、母親は自分が何もかもできることを主張するのでした。
ある日、信友さんは母親の様子を収録するためにカメラマンを連れて実家に戻りました。そのことをあらかじめ伝えておいたからか、家の中は整理され、何事もなかったかのようにカメラマンを家に迎えたのでした。信友さんにとってはある意味では衝撃的でしたが、両親の残っている生活能力を確信したのでした。そして、早速地域の包括支援センターのケアマネジャーやサービス事業所の関係者とデイサービスをはじめ、さまざまな介護保険サービスを利用するための打ち合わせを信友さんの実家で行いました。
すべての段取りが決まり、来訪者が帰ったあと、母親はデイサービスの参加を強く拒否したのでした。しかし、デイサービス初日の朝には、きちんと身支度をした母が居ました。そして、送迎バスに乗っていく母をタクシーで追いかけ、様子を伺ったのですが、他の参加者と打ち解けて会話する母の姿を見て、信友さんは驚きを隠せませんでした。
信友さんは、担当のケアマネジャーに介護離職について打ち明けました。するとケアマネジャーは、「帰られて介護するのはいいけど、仕事はどうするのですか?辞めるのですか? そしたら生活はどうするのですか?どうやって食べていくのですか?そこまで考えているのですか?」と、信友さんの不安な思いを的確に指摘したのでした。
信友さんの葛藤
以前、若年性認知症の取材をした信友さんにとって、両親の老老介護の様子を記録することは、TVディレクターとしてのドキュメンタリー制作の一面と、同時に老いて変わり果てていく両親を看る娘の一面がありました。信友さんは、おそらくTVを通して、認知症の在宅介護の実態、特に老老介護の実態を伝えたかったのでしょう。しかし、取材の途中から、92歳の耳の遠い父が誰の手も借りずに母を世話する姿に両親の生活への不安と、かといって、一人娘としてすべきことを果たしていない自責感とが錯綜し、ジレンマに陥っていたのでした。
当然のことながら信友さんは、自分が帰郷することを両親も望んでいる、両親が安らかな生活を送るための唯一の方法は自分が世話すること、と考えました。しかし、父親からは帰郷することを反対され、また認知症の母親からも手伝うことを拒否されたのでした。
在宅介護継続の方法として介護保険サービスの利用を考えたのですが、そこで両親の意外な側面も発見しました。母親の他者への対応は、娘に見せた混乱ではなく、家の中を整理整頓し、身なりを整え、化粧をして迎え入れた姿でした。また、他者を自宅に招くことを嫌い、自分が妻の面倒を看ると言い張っていた父親が、介護サービスを受け入れたのでした。
信友さんは、「自分が広島に帰ってきても、今の両親を十分世話できるのだろうか」「本当に今の仕事を辞めても後悔しないのか」「実家の近所の人は、私のことをなんと思っているのだろうか」等々、自問自答しました。そして、担当のケアマネジャーに介護離職の相談をしたときに、彼女が帰郷することへの疑問を率直に語ってくれました。そして、詳細な介護計画書を提示されたことで、信友さんはもう少し東京で様子を見ることにしたのでした。
介護離職のきっかけ
家族が介護離職を決意には、家族としての義務感や責任感が背景にあります。自分しかいない、自分ならできる、との思いから、仕事を辞めてでも世話することを決意します。
しかし、多くの家族には、在宅でケアを継続できる確信はありません。むしろ、見切り発車の「何とかなる」、感傷的な思いの「傍にいてあげたい」「かわいそう」が多いように思います。私の母も認知症でグループホームにおりますが、その決断の前には「何とか父のもとで一緒に生活させてあげたい」、「私の家で世話をすることは可能か」との考えが過りました。しかし、そのようなことは、今の父の年齢や私の生活を考えると無理なことは承知です。でも、自分が世話出来たら、と心を揺るがせるのでした。
認知症の人の介護は、長期間で、しかも徐々に進行しますので、その負担も増えます。そして、信友さんのように今まで長い期間、両親と生活を伴にしたことがない人にとって、毎日の生活を両親の介護に費やそうと思っても簡単にできるものではありません。
今まで社会で活躍して来た人が、自分の社会的役割を放棄して家族の介護に転換することの意義や価値について自問してみてください。
確かに信友さんの場合は、彼女の立場やご両親の状況を考えると、仕事を辞めざるを得ない、と考えるのも納得できます。その考えを変えさせたのが、自分がしなくとも両親を世話してくれるサービスがある、と察した時でした。裏を返せば、信友さんにとって、今の仕事はやりがいがあり、大切なものです。それを今手放さなくても、何とかなりそうと感じた時に仕事を辞めることを見送ったのでしょう。
いずれ信友さんにも大きな転機が訪れます。それは、ご両親のどちらかが一人になった時です。その時にも同じ葛藤が生じるでしょう。
介護をシェアするという考えかた
ここで僭越ですが、私の臨床経験から、信友さんにアドバイスさせてください。
まずは、ご自分は人を世話することが上手いか下手か、むしろ好きか、嫌いか、を自問してください。下手だから、嫌いだから介護にむかないということではありません。信友さんと話す機会を得た私の印象では、決して嫌いではありません。根っから介護が嫌であれば、介護離職を考えることはしないでしょう。
次に、今の自分にとって大切に思っていること、やりたいことを考えてみてください。そこで、ご両親の世話を第一に挙げるのであれば、介護離職を考えるべきでしょう。しかし、仕事や家庭など、親の世話以外の大切なものがあり、それを犠牲にして介護を始めようとしたら、やがて認知症の介護に大きな負担を感じてしまうかもしれません。
ご自身の役割を整理してください。ご自分が直接介護することが信友さんの役割か、また実家に戻ることが必須なのか、問いて見てください。ケアマネジャーが言っているように、信友さんが世話をしなくとも、周囲の居宅サービスが信友さんの代わりをしてくれます。信友さんが娘としてやるべきことは、両親が誇れる姿をみせ、娘として家族の絆を大切にする思いを示し、ご両親を安心させてあげることではないでしょうか。
すなわち、信友さんができないこと、しなくてもよいことは、プロの介護者に任せましょう。介護をシェアする、という考え方に立って、多くの人が介護にかかわりながら、ご両親の生活を支えることができれば、信友さんが今帰郷しなくてもご両親は大丈夫でしょう。
介護離職をして家族のために介護し、無理して、ストレスを抱えて、その結果、家族の絆さえ失ってしまえば、お互いが不幸です。認知症の人の介護は、頑張れば頑張るほど、「こんなに頑張っているに・・」と感じることもあります。しかし、できないことを他者に任せることで「私が十分に世話してあげられない」と負い目を感じることがあり、それがその人にやさしくなれる秘訣かもしれません。
TVディレクター信友さん、やがて訪れる危機に彼女はどのように対応するのでしょうか。どんな選択をしようとも、全てが終了したときに必ずやってくるのが後悔です。今は「後悔しないように、やるだけのことはする」と思うでしょうが、すべてが終わったときに後悔をしない人はいません。家族にとって「満足だったケア」などあり得ないのです。できないこと、しないでよいこと、これらはプロの介護者に任せ、自身の生活も大切にし、また家族の絆を大切に考えるのも立派な家族介護の側面です。
ユッキー先生のアドバイス
信友さんのドキュメントが私たちに教えてくれたことを整理したいと思います。
第一に、少子高齢社会で、家族が高齢者の介護をすべて担うことは困難と実感させられました。それゆえに、介護をシェアする考え方を現実的なものにするには、社会制度の充実が必須です。家族介護者を含めた安心、安寧の暮らしとはどうあるべきかを考えさせられました。
第二に、介護離職の問題です。親の介護のために仕事を辞めることの意味です。社会にとって必要な働き手を失うことは大きな損失ですが、家族にとっては深刻な問題です。介護離職を余儀なくされている家族の支援のあり方をもっと考える必要があります。
第三に、認知症の介護は、感傷や義務感でできるものではありません。介護者自身で介護能力を確認することが必要で、そして社会サービスを有効に活用することで家族の介護負担の軽減につなげる必要があります。
第四に、老老介護の現実です。もはや、認知症者が認知症者を介護する認認介護の現実もあります。この状況に地域が、そして社会がどのように対応していくのか、今、真剣に議論しなければ、明日のわが身は真っ暗です。
第五に、信友さんがTVディレクターという仕事をしながら、あのようなレポートを公開したことで、多くの視聴者が認知症介護の問題は間近なものと気づかされたことでしょう。
がんばってください、信友さん!
なお、本コラム掲載に当たっては、TVディレクター信友直子さんの了解を得ました。
(2016年10月11日)
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