第35回 認知症の人の自動車運転

平成27年10月28日の午後、宮崎市中心部で軽乗用車が歩道上を約700メートル暴走し、歩行者ら7人が死傷した事故で、車を運転していた73歳の男性が認知症であることが報道されました。

最近、対向車線を走ったり、高速道路を逆走したりする高齢者が社会問題になっています。そこで、認知症の人の運転について考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 一般高齢者の運転と認知症の人の運転
  2. ある高齢者の運転
  3. 認知症の人の場合
  4. 軽度認知症の人の運転を阻止する方法は?
  5. ユッキー先生のアドバイス

一般高齢者の運転と認知症の人の運転

警視庁交通局の資料によると、最近の交通事故の年齢別件数を見ますと、16歳から24歳の若い人が当事者となる事故件数の占める割合が減少傾向にある一方で、65歳以上の高齢者の割合が急速に増加しています。

なぜ高齢者に交通事故が多いのでしょうか。平成17年の自動車安全運転センターの調査によりますと、高齢者は制動、障害物回避、交差点での安全確認に問題があることが明らかになりました。この運転能力の低下は、認知力、判断力そして運動能力の低下が影響しています。

高齢者に多い事故は、交差点内の出会い頭衝突と右折時衝突です。高齢者の運転は、右折可能の判断で対向車の速度を考慮せずに距離のみで判断する傾向があり、特に後期高齢者の場合はその傾向が著明なことから、このような事故の多発が伺われます。

また、交差点内での安全な停止や左右確認が十分でないケースが多く、また複雑な情報を処理する能力に欠けるため、様々な情報を処理しなくてはならない右折時の事故が左折よりも多いようです。

さらに高齢者は、運転中の自己中心的な考え方から、他のドライバーの意図を考えずに行動し、また勘違いのために事故を引き起こすともいわれています。さらに、長年の運転経験が自信過剰になり、車は来ないだろう、人が飛び出さないだろうなどの「だろう運転」が大きな事故につながることがあります。

では認知症人の運転は一般高齢者とどのような点が異なり、事故の多発につながるのでしょうか。先に述べたように高齢者の運転では、認知力、判断力、運動能力の低下が事故につながりますが、認知症では、この認知機能の低下がより著明になります。

それにより車を安全に制動したり、障害物を回避したりする行動、また交差点等での安全確認など、様々な運転動作を適切に行えなくなり、事故につながることが多くなります。

先日の宮崎市の事故は、まさしく車道と歩道の判断がつかなくなり、そこに大勢の人がいる歩道を走らせることの危険性を理解できず、また理解できたとしてもそれを回避する動作ができなかったことによる悲劇的な事故でした。

ある高齢者の運転

私の父は93歳で、伊豆の田舎に今年の6月まで一人で暮らしていました。母は認知症で、高齢の父は母の世話ができないので近くのグループホームに入所しました。父の日課は、自身の食事の支度や掃除に加えて、母のところへ面会に行くことでした。

父の家は、伊豆高原の別荘地にあり、周囲の環境は自然に恵まれ、三重県の田舎に生まれた父にとって退職後の終の棲家として、海が近いこの地をとても気に入っていました。

月に数回、そんな父や母を訪ねていた私ですが、ある日、帰宅時に父が駅まで車で送ってくれました。それまで、ほとんど私は自分の車で伊豆に行っていましたので、父の車に乗る機会はありませんでした。そこで驚愕する出来事が起こったのです。

ちょうど川津桜が見ごろで、国道134号線は大渋滞でした。そこで父は何を思ったか右折後に反対車線の歩道に入り走り始めたのでした。私は慌てて、父にすぐ近くの店の駐車場に入るように強く指示しました。父が車を止めたときに「どうしたの、ここは歩道でしょう、車は走れない、危ないじゃないの」と注意すると、「駅まで車が混んでいるので間に合わないと思って、」との回答でした。

私は、駅までの区間を父に代わり運転したのですが、その間の会話で父に運転をやめる様に説得したのです。その間父は何も言わず私の言葉を聞いておりました。しかし、車の運転をやめる様に説得していた私のそのトーンがだんだん落ちていったのでした。

無論、車がなければ父は生活を営めません。近くのスーパーまでは約1キロの道を歩いていかなければなりませんし、5キロ離れた母のグループホームに行くには、バスもありませんし、急な坂道を上り下りしなければならないのです。

かといって、私が父の世話をすることはできませんし、正直なところ私自身の生活を変えることに非常な抵抗がありました。父と別れるときに、父が車を運転して帰るしかないのですが、私がかけた言葉は「気をつけてよ。あんな運転、しないでよ」という言葉でしかありませんでした。

認知症の人の場合

家族が物忘れを気にし、物忘れ外来を受診してきた奈津江さん(76歳)は、認知機能テストで軽度の記憶力の低下が認められ、同時にCT検査で海馬周囲の脳委縮が認められました。私は奈津江さんの診断を暫定的に軽度認知障害(MCI)としましたが、そこで問題が持ち上がりました。

娘さんによると、奈津江さんの趣味は、近くの家庭菜園で3坪ばかりの土地を借りて、季節の野菜を作ることでした。そして、近所の親しい友人に収穫物を配る事を楽しみにしていました。

畑は家から2キロぐらい離れているためにいつも愛車の軽自動車を運転していました。しかし、娘さんによると、最近、家の門に車をぶつけたり、菜園の近くの溝に脱輪したり、ちょっとした事故が続けて起こっていたので、家族は本人の運転に不安を感じていました。

家族は、担当医にもう運転は危ないのでやめる様に指導してほしい、との思いもあり物忘れ外来を受診したようです。無論、明らかに認知機能低下が見られているなら、運転をやめることを強く求めますが、奈津江さんの記憶の障害は、テスト上明らかでしたが、日常生活の混乱はほぼ見られなかったMCIと診断しました。

このような状態で、担当医が運転をやめさすことを強要することがよいことか、迷いました。奈津江さん自身は、買い物やその他の短い距離の場所に行くときは車を使いたい、と懇願していました。

奈津江さんの次回の免許更新は本年の12月です。当然、更新時に75歳を過ぎているので、認知機能の検査を義務付けられ、そこでの判定は従うことが求められますが、もし更新が認められたとしたら、家族の今後の心労は大きいように思います。

認知症の人の運転は、道路交通法の解釈からも、現在は認められていません。私の臨床経験から、日常の混乱が激しく、一人での生活が困難な人で運転を継続している人はあまりません。多くは、自損事故を契機に家族がほぼ強制的にやめさせ、また運転に対する執着も薄らいでいくように思います。

特殊な例として、大型のショッピングモールに行った際に車を止めた場所がわからなくなり、そのまま帰宅し、数日後に警察から電話があり、車が発見された例がありました。このように、日常診療で問題になるのは、初期の軽度認知症の人が運転しているケースで、操作ミスや判断ミスによる細かな事故を起こすケースの様に思います。

軽度認知症の人の運転を阻止する方法は?

認知症の人の運転をやめさせる理由としては、交通事故件数の抑制ですが、何よりも、事故を起こすことは、精神的、身体的そして経済的にも大きな損失に繋がります。

私がこのテーマを急遽今回のコラムに取り上げたのは、近年の認知症の人が関わる交通事故の報道を聞いたのがきっかけでした。宮崎市の事故につづいて食堂に突っ込んで多くに人が怪我をした事故も認知症の人の運転によることが報道されましたが、それらの報道の多くは、認知症の人の運転の危険性を報じる内容であったかと思います。

そこで、ふと考えるのは、毎日の死亡や重大な交通事故は一般ドライバーによるもの、あるいは認知症でない高齢者ドライバーによる事故で、件数は、認知症の人の運転によるものより多いことは事実です。そう思うと、認知症の人の事故は、あたかも認知症の人が運転すること、また運転させる家族が悪いような印象を与えかねない報道がみうけられました。

私の父の場合は、恐らく認知症ではありませんので、彼の生活環境を考えると、あの時から即座に運転をやめさせることはできませんでした。同じような境遇にある人が認知症と診断された時、家族や周囲がその日から運転をやめさせることができるのでしょうか。

その理由としては、その人たちの生活を変えることが困難だからでしょう。家族にとってみれば、今の生活を運転させないことでやめさせるには、それに代わるものを差し出してあげたい、と思うのも当然です。都会に住んで、コンビニエンスストアーが近くにあり、バスや電車、タクシーが自由に使える環境では考えられない田舎の生活があります。その彼らに、認知症だから、事故が多いから、と運転をやめさせるよい方法とは何なのでしょか?

実現にとても時間がかかり、もしかして今の日本社会では不可能な話かもしれませんが、しかし今後の日本の社会に最も重要な課題です。新オレンジプランを掲げる政府の地域包括ケアの実践で、早急に取り組んでほしいのが、どこに住もうとも、車を使わなくても快適に生活できる環境の整備です。このようなことを言っている私の建前論に嫌気が刺しますね。

現実問題として、認知症の人に運転をやめさせる方法はあるのでしょうか?私の父の場合は、早急に車の処分と彼の引っ越しです。彼の家を処分し、都会のサービス高齢者住宅への入居でした。私にとっての解決法は、彼が車がなくとも生活できる環境の提供です。それは、政府が掲げる住み慣れた環境ではなく、遠く離れた地の施設でした。これも一つの解決方法でしょう。

ある家族は、車のカギを隠したり、バッテリーを外し故障に見立てたりして運転できない状況をつくって運転させない荒業を行っていました。しかし、それに伴う認知症の人との関係が悪化することは当然のことでした。

中には、認知症の人を説得して運転をやめさせた事例もあります。そこには家族の必死な思いでの説得と、認知症の人とのこれまでの関係性が影響するように思います。その説得には、認知症の人に対する困惑よりも、思いやりがあったように思います。

思いを込めて、何度も何度も運転をしない様に頼んでください。そしてできるだけ、運転しない環境、運転できない環境を提供することでしょう。いずれにしてもこの問題は認知症の人にとって生活の死活問題と捕えるでしょう。また家族にとっても社会の一員としてほっておくことのできない、大変重い課題です。

このたびの報道をみて、あの時の父親の行動を思い出すと身の毛が弥立ちます。家族の是が非でも運転をやめさせたいと思う気持ちと、その人の住み慣れた地域での豊かな生活を取り上げたくない、との葛藤が痛いほど理解できます。

認知症の人をドライバーから排除することは、社会の秩序を維持するのに必要かもしれません。しかし、私たちの生活のみを考え、認知症の人の社会参加や活動を制限することは、どうも納得いきません。もう一度、認知症の人の運転について、彼らの身になって考えみる必要があるのではないでしょうか。

(画像はイメージです)

ユッキー先生のアドバイス

認知症の人の運転は、その病態から決して肯定できるものではありあません。でも、私の身になって考えた場合に、今突然運転免許が剥奪されたとしたら、どのような反応をするのでしょうか。それを冷静に受け止める自分が見えません。今の高齢者、特に女性の場合に運転免許を保持していない人が多いように思いますが、これから団塊の世代の高齢化が進むにつれ、運転免許の問題はもっと深刻になるように思います。

今の私には良いアイデアはありませんが、高齢者が自発的に適当な時期に運転をやめさせる環境づくりが必要です。でも、それを今すぐにできるわけではありません。では、どうしたら高齢者や認知症の人の運転をやめてもらうことができるのでしょうか。

最も重要なことは、ご本人のために運転をやめさせるのではなく、家族や事故に巻き込まれた人がとても気の毒で、また事故の保証が大変であること、などを説明したらいかがでしょうか。実際に平成29年度から新しい道路交通法が改定され、認知症の人は運転できない法律になります。それでも運転し、事故を起こした場合は、恐らく自動車保険も保障の対象にはならないようになると思います。

(2015年11月13日)



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