第6回 MCIの誤解と予防・治療

2015年12月31日

今回は東京大学医学部附属病院 神経内科 特別外来 メモリークリニックでアルツハイマー病(AD)やレビー小体病、前頭側頭葉型萎縮症等の疾患の診断、治療に当たっていらっしゃる岩田淳先生にインタビューさせていただきました。

岩田先生は認知症の診断・治療だけではなく、臨床研究も行っておりますので、認知症の研究も含めた幅広い内容をお伺いさせていただきました。全9回でお送りいたします。

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話し手
岩田淳先生
東京大学大学院医学系研究科神経内科学 講師
岩田淳先生

第6回 MCIの誤解と予防・治療

認知症の前段階でもある軽度認知症「MCI」の段階での対策が、認知症予防にとって非常に重要とされています。できるだけ早い段階でMCIに気づくのが理想ですが、そのためには、MCIとはどういった状態のものを言うのか、正しい知識を身に着けておく必要があります。

東京大学医学部附属病院の専門外来「メモリークリニック」で診療に当たる岩田ドクターに、MCIの病状や検査について詳しくお聞きしました。

軽度認知障害MCIの検査について考える

―― 認知症の予防にはMCI(軽度認知障害)の時点からの対策が重要と聞きますが、MCIの検査では具体的にどういったことをなさっているのでしょうか。

私の場合、患者さんがいらっしゃったら、まず、長谷川式スケールとMMSEを自分でやることにしています。自分でやることによって、何ができないのか、とてもわかりやすいし、反応をみることができます。取り繕いとか、細かい動作の異常がとてもわかりやすいですよね。できないことがあった時にどういう顔をするかとか、そういったところもみています。

それに加えて、点数に異常があった場合には、ウェクスラー記憶検査Wechsler Memory Scale-Revised:WMS-Rという、結構負担の大きい記憶検査をします。結構大変で一時間半くらいかかる検査です。心理士さんにやってもらいますが、これは東大のようにスタッフの多い施設だからこそできる検査です。

東大病院には、それなりに構えてくる患者さんが結構多いし、いくら時間がかかってもきちっと検査して下さいという患者さんが多いので、こちらも負担の大きい検査を勧めやすいのです。様々な検査をやらして頂いて、どれくらい悪いかということをきちんと測定させてもらっています。記憶力をみるためには、多分一番負担度の高く詳細な検査だと思います。

―― 他の病院でもできるのですか?

もちろんできることはできるけれど、全部で一時間半くらいかかりますし、医師が自分でやるのは時間はありませんので、心理士さんの助けが必要です。そうすると認知症を専門に診療している医療機関などかなり対象が限られてきます。

私は他の病院で外来を受け持つことも多いのですが、そこでは心理士さんがいないので、MMSEだけやって、その結果でMCIかどうかを判断することにしています。病院によっていろいろ立場やスタッフの違いがあると思うし、できる検査も限られますから。

―― マンパワー的な側面と、時間的な側面で、かなり制限がかかってしまいますね。

その通りです。特に気軽に受診できるような市中病院では「そんな検査は嫌だよ。難しいよ、面倒だよ。」といわれてしまいますから。それぞれの患者さんのニーズに合わせて、検査の種類や難易度を決めていくのも大事です。

―― 画像診断もされるのですか?

東大病院ではMRIはほぼ全例撮ります。大体、やることは決まっているので、こうなった時には血液検査をやって、MRIをやって、ウェクスラー記憶検査をやって、SPECT検査をやってという、そこまでは大体基本ですべてやります。アミロイドPETは常に撮像は出来ますが、前に申し上げた理由で研究のためにしか撮像しません。

―― 患者さんが地域のかかりつけ医のところに行って、まず長谷川式を受けたとして、自ら「画像が撮れるところをご紹介いただけませんか」というべきなのでしょうか?

今は画像専門の医療機関がありますから、地域のかかりつけ医からでも、そういう所に紹介されて、VSRAD解析を含めたMRI画像を撮ることはできます。画像上アルツハイマー病に矛盾しないことは確認した方がいいので、そのためには画像が撮れる、あるいは画像が撮れる施設を紹介してくれる病院に行くというのは一つの条件だと思います。

ただし、専門家の立場からすると、一般的な診療のレベルだとMRIは必ずしも必要ないと思います。アルツハイマー型認知症はMRIを撮らないと診断できないということはありません。ただ、認知症だと思ったときにその根底にある病気を区別したいだとか、逆に何かを見逃したらいけないと思って、撮ることの方が私の場合も多いので、そういう意味でいうとMRIを撮るのは当然なのですが、どこまで必要なのですかといわれると、悩んでしまいます。認知症になられるご高齢の方はお金に余裕のない方も相当おられますし。

「MCI=アルツハイマーの前駆状態」ではない

―― 最近の研究では認知症の患者数にMCIも含まれるようになったというお話しですが、現在、MCIは認知症であるという認識が学会の中では一般的なのでしょうか。それとも、MCIは認知症には含まないという考え方が専門の先生方のお考えなのでしょうか?

これはとてもいいご質問です。そしてとても大きな問題だと私は考えています。科学的な理解としては、MCIは軽度認知障害ですから、正確にいえばもともと認知症ではない状態を指しますし、将来認知症になるかどうかはわからない状態であると考えなければいけません。

これは私の推測ですが、認知症という単語はもともとも学問的には脳の病気が原因で日常生活に介護が必要な状態という定義だったものが、一般社会においてその代表的な病気であるアルツハイマー病と混同して使われてしまっていることが一因だと思います。

軽度認知障害の中に含まれる病気には様々なものがあります。軽度認知障害というのは「状態を表している名前」であって、その原因にはアルツハイマー病もあるし、レビー小体病もあるし、場合によっては原因のわからない軽度認知障害もあります。さらに、軽いうつ状態などが間違って診断される場合もあるでしょう。

しかし、一般の先生方の中では、ましてや一般の方々の中では、MCIは必ずアルツハイマー型認知症の前駆状態であるという認識がおそらく最も一般的なのではないかと危惧しているところです。

―― 具体的に危惧されている部分を教えてください。

MCIはアルツハイマー型認知症の前駆状態であるという認識は科学的には間違いであって、必ずしもそうではありません。実際には、MCIのまま状態の変わらない方もいますし、認知症に移行する方もいます。それは、脳の中にアルツハイマー型病やレビー小体病の変化があって症状が出ているかがポイントなのです。つまり、脳の病気が原因のMCIであれば、さらに悪くなる途中の状態を見ているけれども、その裏に潜んでいる病気の種類によってその後の悪くなり方が全く違うわけですね。

ところが、MCIは必ずアルツハイマー型認知症の前駆状態であるという認識を有していると、医者の介入があったから、MCIのままでとどまってアルツハイマー型認知症にはならなかったというようなニュアンスを患者さんに与える可能性が出てきてしまったのです。本当にアルツハイマー型認知症の変化が脳の中で起きていれば、個人差で速い遅いはあってもいずれは進行してしまうと言うことが大規模な研究で解っています。

例えば、70歳でアミロイドPET陰性だったら、その人が例えMCIの症状があったとしても将来アルツハイマー型認知症になる率というのは、ものすごく低いはずです。しかし、違う型の認知症は起こり得るので、その人が認知症にならないとはいえません。そこをきちんと切り分けて説明しなければならないのですが、それができていない現状が私にはとてももどかしく感じられます。

―― 一部の研究で、MCIを発症すると5年後には50%の確率でアルツハイマーを発症するといわれています。これはそもそも残りの50%にはアミロイド蓄積がみられない人々であって、蓄積のみられた50%の人たちは一定の割合でアルツハイマーを発症するという住み分けになるのですか?

患者さんの症状や、それまでの経過をお聞きただけで、詳しい検査をしないで診断する方法を使った方法ではMCIと診断された人のうち、アミロイドPETが陽性だった率についての研究はたくさんありますが、よくて5割、下手すると3割です。アルツハイマー型認知症と臨床的に診断された人でもアミロイドPETの陽性率はよくて7~8割です。逆にいえば、2割はアミロイドβの蓄積がないので誤診です。

これは症状だけだとどんなに優秀な医師でもアルツハイマー型認知症を正確に見分けることが出来ないと言っているだけで決して恥ずかしいことではありません。例えるならば食欲がない、お腹が痛いという情報だけで胃癌患者さんを見分けることは到底出来ないという事ですね。脳の病気は患者さんがご健在のうちに顕微鏡で詳しく調べて結論を出すと言うことが難しいので医者の技術の問題だけではなくて、そもそも仕方のない部分があるのです。割り切って、社会的にそういう理解がもう少し広がるといいなと思ったりはします。

―― MCIという言葉が先行して、MCIになってしまうと認知症になってしまうかもしれないというような印象が一人歩きしているような気がします。

少なくともMCI=アルツハイマー=認知症という、ものすごく単純な図式ではないのだとご理解いただくことが大切だと思います。その図式では「私はMCIだと思います。MCIだとアルツハイマーになるのですよね。認知症になるのはいやだから薬を下さい」という話になってきます。こういう場合でも本当は「MCIには薬の保険適用はありません」とお答えするのが正解です。

「そもそもMCIの場合は進行するかどうかもわからないですし、今の段階で心配するといっても、少なくともアミロイドの蓄積が解らない段階では経過観察が正解なのですよ」というのが、おそらく科学的にも倫理的にも正解なのだと思いますが、人情という事がありますからそこで薬を処方してしまうことも多々あるわけです。

そうすると、「10年間、お薬を服用しました。認知症には全然ならなかったので、あれはいい薬です」ということになりかねないのです。本当にアルツハイマー病が原因だったMCIであればそういうことはほとんどないはずです。それは特に、今後につながってくる話があって、根本治療の薬が出てきた時に大問題になります。

抗がん剤を風邪の人に処方しても風邪には効果がないのと同じで、要はアルツハイマー病の病理があるかどうかで、アルツハイマー病の薬が効くかどうかが決まるのです。そもそも進行する病気がなくて軽度認知症の症状を出しているのだったら治療薬は必要ないかもしれません。そういう意味で今のうちから、病理学的な背景と症状というのは違うのだということをきちんと啓発していかないと、いずれ大変なことになりかねないということを危惧します。

―― 病理と症状を切り分けて患者さんに説明していくというのは、専門医の先生方の中では現在では一般的なやり方なのでしょうか?

私たちは、認知症というのは身体の中で起こっている病理学的な変化をもとに神経細胞の機能が低下していくということを認識して治療にあたりますが、そういうストーリーが思い浮かばない人もたくさんいるわけです。そういう人たちにとってみれば、患者さんが出している症状が全てです。症状がなければ、脳は正常だという考え方を持っている人がまだいるのかもしれません。

ですから、数年前にある講演会で、アルツハイマー病では認知機能に全く異常がないのにも関わらず脳の中ではアルツハイマー病の変化が生じている状態があるという話をした時に、「まったく受け入れられない」といわれたことがあります。しかし、実際にはそういう方が沢山おられます。

癌だって、検診を受けるまでは症状がないこともあるでしょう。検診を受けてみたら、ちょっと小さいポリープができていて、それを精査して、癌と診断されるというストーリーを思い浮かべて下さい。外から見えなくても何かがあるかもしれないという考え方を皆さんが持たないといけないと思います。

特にアルツハイマー病の場合は病理的変化が生じはじめてから10年から20年くらい経って初めて症状が出てくると考えられ始めています。そういうところまで考えないといけないので、私たち専門医が正確な話をしていかないといけないと思います。

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