第49回 認知症の人の生きている意味と目的

前回の第48回コラムでは、認知症の人の生きている価値について考えてみました。介護をしている家族にとって、どのような状況であろうと、その人の存在に価値を見出しているように思います。

では、実際に認知症の人は、自身の状況についてどのように捉えているのか、あるいは生きている意味と目的をどのように感じているのか、彼らの言動や行動から考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 金銭に関わるトラブル
  2. 認知症告知の不安
  3. 死への恐怖
  4. 認知症の人が思う生きる意味と目的
  5. ユッキー先生のアドバイス

金銭に関わるトラブル

「人が、より良く生きたい、豊かに暮らしたい、と考えた時に、お金のことがまず頭に浮かぶのが一般的です。認知症の人に限らず、特に高齢になるとお金に執着する人が多いようですが、それは生活不安からくる行動と察します。そこで認知症の人の金銭に纏わるトラブルの要因について、その行動や言動から考えてみたいと思います。

家族が認知症と疑うきっかけで多いのが金銭に関連するトラブルです。暗証番号を間違えてATMから現金が引き落せず「銀行が操作した」と激しく抗議する人、自身の貯金通帳や印鑑など大切なものをすべてバックに入れて持ち歩く人、子供たちが自分の財産を狙っている、と警察に訴える人もいます。最も多いのが家族の誰かが「財布を盗んだ」と攻撃する、よく言われている「もの盗られ妄想」です。これらの言動や行動は、「金がない、生活ができない」という不安が要因と考えられます。

金銭に纏わることで「お金が一銭もない」「何もかも失った」「(自分は)ダメな人間だ」などの悲観的な言葉を高齢者から耳にすることがあります。これらの多くは、事実と異なる誤った思い込みで、「そのような心配は必要ない」と説得しても聞き入れようとしません。この症状を貧困妄想、罪業妄想とも言い、老年期のうつ病の人によく見られますが、認知症の初期にも見られます。

これらの金銭のトラブルは、軽度の認知症の人に多い症状です。この被害的な思い込みには、安心した生活を送れなくなる、という不安が背景にあります。その不安を解消のために、自分のごく身近な人を泥棒と思い、強い口調で非難し、お金を取り戻すために戦いを挑むのですが、それには大変大きなエネルギーを必要とします。一般には、そのようなエネルギーを使うことを嫌い、争いを避ける手段を考えますが、認知症の人はそれができず、怒りの行動に出てしまうのです

金銭のトラブルは、認知症の人に見られる困った行動の一つですが、その他の困った行動にも、同じように理由(わけ)があります。その多くが彼らなりに自分を守るための行動ですが、周囲の者にとっては、それらが理解し難い行動に映ってしまいます。 お金が無くなることが生活不安につながることは、私たちも容易に理解できますが、他人に対する被害的な妄想まで発展するには至りません。しかし、無くなったものを取り戻すための必死の行動であると思うと認知症の人の行動もわかるような気がします。

認知症告知の不安

時折、初診患者さんのご家族から診察前に「本人には認知症のことは隠して病院にきましたので、認知症の話はしないでください」と告げられることがあります。その理由は「本人に認知症であることを告げると怒り出すから」とのことですが、認知症を専門としている当院にとっては困ったことです。

では、なぜ高齢者の多くが認知症と診断されることを嫌うのでしょうか。前回の第48回のコラムでも書きましたが、「認知症と診断されたら人生おわり」と思ってしまう人が少なくないからでしょう。だから家族の方は、認知症と診断されることで、ご本人が精神的に落ち込んでしまう、あるいは怒りを露わにし、興奮してしまうと予測して、診断を伏せることを希望すると推測します。

多くの高齢者は、認知症を病気とは思わず、歳をとると呆けて、奇妙な行動や会話をする恥ずかしい病気、と偏見をもっているようです。それゆえに、認知症と診断されると、落ち込み、怒りを露わにするのかもしれません。その心の内を理解し、診断の結果が認知症であっても、それは決して恥ずかしい病気でないことを丁寧に説明することで、本人が怒り出すことはありません。それだけに留めず、今後の生活のことを一緒に考え、不安や恐怖を取り除いてあげることも必要です。むしろ、本人に病気のことを知らせずにいると、ますます本人は家族に不信を抱き、それが妄想に発展し、攻撃的な言動、困った行動に発展してしまいます。

すなわち、認知症の人も安心した暮らし送りたいという願望は強いのです。それができなくなる認知症への不安・恐怖の表れが怒り、攻撃などの困った行動であることを理解すべきでしょう。それゆえに、認知症のことを隠すのでなく、これからの安心した暮らし方を一緒に考えてあげることが重要です。

死への恐怖

誰もが、いずれ死を迎えることを認めていても、死への恐怖はいつも抱いています。時々外来で高齢の方が言葉にすることは「先生、もう死にたい。殺してください」です。その理由は「みんなに迷惑をかけたくない、生きていても仕方ない」、ある人は「生きていることが辛い。いい加減死にたい」です。そして必ず「楽に死にたい」、「ぽっくり死にたい」と付け加えますが「早く死にたいけれど、苦しんで死にたくない」という本音もきかれます。そこには、老いて、思い通りにならない現状の逃避があり、しかし死ぬ苦しみは避けたい、との思いがあるのでしょう。

前回のコラムでは、認知症の人の生きている価値について述べましたが、このコラムでは、認知症の人が死についてどのような思いがあるかを考えてみました。

一般に死について思うことは、先に述べましたように、死ぬ前の苦しみを避けたい、です。経験したことのない苦しみを想像し、死後の未知の世界に恐怖を抱くのです。これは、将来起こり得る出来事を予測して、自分勝手な解釈をして不安を抱くのですが、これを専門的に予期不安と言います。しかし認知症の人にこの予期不安が存在するかというと、多くの場合、将来の出来事を予測することはできませんので、死への恐怖を抱くことがないようです。時折、ごく軽度の認知症の場合には、ご本人が「死にたい」と口にすることがあります。その多くは、壊れていく自身の現実逃避であり、この先どのようになるのか、という不安よりも、むしろ今の自分のできないことへの歯痒さから「死にたい」を訴えるようです。

認知症の人が思う生きる意味と目的

認知症の人は、毎日の生活の中でどのように生きようとしているのでしょうか。無論、一人ひとり生き様や環境によっても異なる生き方を望んでいるのでしょう。このコラムでは、認知症に纏わる金銭上のトラブル、認知症と言われることへの抵抗、そして認知症の人の自殺について取り上げました。このように”認知症の人の問題”として取り上げますと、彼らに纏わる特殊な問題として捉えがちですが、実は、それぞれが一般の高齢者にとっても毎日の生活の中で深刻な問題として捉えられているのです。

時折、「認知症の人は何も考えていない」「何を考えているのかわからない」などと言った言葉が聞かれます。第36回第37回のコラムで、井坂淑子さん(仮名)が残した日記を紹介しました。そこには、認知症に冒されていることに気づき、大きな不安に襲われ、何とか克服しようと頑張るがそれが上手くいかない自身への怒り、そして「仕方ない」との諦めの心の動きが描かれていました。この心の動きは、私たちが大きな問題に遭遇した時と同じ動きです。

認知症に冒されると、現状をより良くしたい、幸せな生活を送るにはどのようにしたらよいのか、今起こっている問題を解決するにはどうすればよいのか、というようなより良い暮らしを求める考えや行動する力が失われてしまいます。ですから、周囲からみると、何も考えていないように見えるのかもしれません。しかし、彼らがもし認知症に冒されていなければ、その人なりの生きる意味や目的を持ち、幸せな生活を送りたいと思っているはずです。認知症になって、自分の力でより良い暮らしをしたい、との願いが叶わなくなった現実をどのように受け止めているか、知る余地はありませんが、心の内には、その願いを持ち続けているはずです。

すなわち、認知症の世界を知らないことで、勝手な解釈や想像が生まれ、それが認知症の人の困った感情や行動の理由(わけ)と決めつけてしまいがちですが、認知症の人も生きる意味や目的を持っていることには変わりありません。世話をする人が、少し視点を変えて、自分とおなじ感情を持ち、同じように幸せな暮らしを願っていることに目を向けてみてください。

ユッキー先生のアドバイス

私たちの生活を営む上で、人とのコミュニケーションは大きなウエイトを占めています。夫婦であったり、家族であったり、恋人、同僚その他さまざまな人間関係があり、そのすべてが同じ関係性を持って接しているわけではありません。認知症の人との関係性も立場により異なって当然です。すべての介護者の人が同じ思いと理解で認知症の人と接しているわけではありません。

認知症の人の生きる意味や目的を感じたとしても、それぞれが同じ感じ方でなくて当然です。世話する人は、世話をする認知症の人とのこれまでの関係性から、その人なりに認知症の人の生きる意味や目的を感じていただければよいのです。そこに、認知症の人への癒しの感情が生まれるのではないでしょうか。


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