第43回 母と娘の関係

認知症の人を介護する家族には、いろいろな立場の人がいます。多くは配偶者か子、そして子の配偶者がその介護にあたります。長年の臨床経験で、その関係性によって、本人への思い、また介護の考え方や仕方が異なると感じてきました。

今回のコラムでは、介護者が娘の場合について考えてみたいと思います。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 須恵さんの娘
  2. 娘の気持ち
  3. 母親の思い
  4. 娘として、そして介護者として
  5. ユッキー先生のアドバイス

須恵さんの娘

上田須恵さん(仮名:78歳)は、3年前に夫を亡くし、現在は都内のマンションで一人で暮らしています。子供は長女の恵美さん(仮名:51歳)と長男の康之さん(仮名:49歳)の2人で、康之さんは広島市の会社に勤め、妻と高校生の男児と3人で生活しています。長女の恵美さんは、須恵さんのマンションには車で15分程度の場所に、夫と2人の大学生の女子と一軒屋で暮らしています。

いつものように恵美さんは、須恵さんのマンションに立ち寄りました。すると須恵さんが不機嫌な顔をして「あなた、私のお金を持って行ったでしょう。返してちょうだい」と、突然恵美さんに向かって怒り出しました。話を聞いてみると、須恵さんの貯金通帳が見当たらず、恵美さんが持っていったと思い込んでいたようです。突然のことに恵美さんは驚きましたが、気を取り直して、通帳を一緒に探しました。

しかし、どうしても見つからないので、銀行に再発行をお願いしました。その2日後に財布を恵美さんが持って行ったと言い出した時は、さすがの恵美さんも憤慨して家に帰ってしまいました。冷静になって家で考えてみると、最近の母親の行動がおかしいことに気づきました。毎月行っていた美容室に行かなくなり、仲の良い友達との外出や趣味の絵手紙教室にも行っていないようでした。また、冷蔵庫には、いつの物かわからない食べ残しのおかずや、古い食材が散乱していました。

恵美さんは、須恵を病院に連れていき、認知症の検査を受けさせることにしました。それに対して、須恵さんは当然自身の病気を認めていませんので受診を拒否しましたが、恵美さんは「もし病院に行かないなら、広島の康之に面倒見てもらって」と強い態度に出た為、須恵さんはしかたなく恵美さんについて病院に行きました。診断はごく初期のアルツハイマー病(AD)でした。

この日から恵美さんの介護生活が始まりました。まずは、インターネットや書物、あるいは友人からADの病気やその介護についての情報を収集することから始めました。いろいろな介護話を聞くに従い、母親が独り生活を続けることが困難であると思いはじめました。

また、周囲からは、一軒家で生活している恵美さんが須恵さんを自宅で世話することが良い、とのアドバイスを聞かされ、恵美さんもそれを決断しました。その矢先、夫や娘たちから反対の意見が出されたのでした。その理由は、「今の生活環境を変えたくない」「自分たちは世話を手伝うことができない」でした。恵美さんにとっては思いもよらなかったことで、大きな壁にぶつかってしまいました。

とりあえず、恵美さんは、毎日にように母親のもとに通うことにしました。須恵さんは、もともと主婦として家事一般は自身で行っていましたので、恵美さんが冷蔵庫の中身さえチェックすれば大丈夫、と判断したのでした。

お金の管理は、通帳を無くした時以来、恵美さんが行うことにしましたが、それが須恵さんには理解できず、毎日のように、通帳や財布の現金がないことを恵美さんに問いただしていました。その都度、通帳を須恵さんに見せ、財布の中に現金を入れておくようにしていました。すると須恵さんが突然泣き出し「どうしてあんたにお金の面倒見てもらわなければならないの、情けない」恵美さんがお母さんのお金であることを説明しても理解できませんでした。

娘の気持ち

この須恵さんと娘の恵美さんの関係は、ごく普通の母親と娘の関係です。そして先の話は、よくある話しで、決して珍しい介護の話でもありません。私がこの介護話を取り上げたのは、認知症の母親と介護する娘さんの関係の特徴をよく表しているからです。

長女で一人娘の恵美さんは、近くに住んでいる母親が認知症とわかれば、当然その世話を決断しました。恵美さんの行動はとても素早く、認知症を疑ったその時点で病院に連れていくことを考え、そしてアルツハイマー病と診断されると、早速認知症のケアについていろいろ情報集めをしていました。

そこで、須恵さんの独居生活に終止符を打ち、恵美さんが自宅に引き取って世話することを決めました。しかし、ご主人や子供たちに反対されたのです。ただ、恵美さんの心のどこかに「まだ一人暮らしが続けられる」と思ったのでしょう。そして、毎日のように須恵さんの家に行き、様子を伺っていたのでした。

娘の介護と他の家族との違いは、決断の速さと、その実行力のように思います。配偶者や息子の多くは「しばらく様子を見てみようか」と即行動することを避けようとしますが、娘の場合は、いろいろ情報を収集して、最善の方法を考え、それを実行しようとします。その際も自分で段取りを立て、実行し、完璧なケアを望みます。ですから、周囲の家族は、任せておけば安心、と傍観者を演じることができるのです。

この時期の娘は、母親の病気を何とか治したい、と思いながらも、長年ともにして来た母がどんどん崩れていく様への失望、信じられない状況・事態への驚きと嘆きなどの負の感情と、同時に娘として自分が何とかしなければならない、自分ならできると奮い立たせる感情が入り混じります。また同性がゆえに自身に置き換えて考えてしまうと、いずれ来る自身の将来を悲観することもあるようです。

このような感情を持つことで、娘の介護は、緻密で、ある意味では完璧な介護を試みようとします。そして、私の勝手な思いですが、親子関係が逆転し、自分が子育てしてきた時の思いが母親の介護に蘇ってくるのではないでしょうか。これは、不思議と息子や配偶者には持たない感覚のように思います。いずれにしても娘が世話することは、その思いが「ねばならない」で、とても強いようです。それは女性の持つ本能的な母性愛なのでしょう。

娘が父親を介護する状況でも、娘の思いは同じですが、母親との違いは、父親よりも力の入れ方が違うように思います。すなわち、母親ができなくなった日常の行為に対しては、父親よりも厳しく正そうと力が入っているように思います。ある私の患者さんの娘さんは、「母とは毎日バトルです」と笑いながら言っておりました。

母親の思い

私の勝手な感想ですが、娘さんに付き添われ外来に受診する母親とのカップルは、とても自然な組み合わせのように思います。診察場面での患者さんは、時に娘さんの説明に対し「そんなこと絶対ない」「あんたは余計なことを言わないの」など面と向かって怒り出しますが、口では嫌そうであっても、心底から娘さんを嫌がるようにはみえません。

母親にとって娘の存在は、女同士として、話し相手として最良の人間なのかもしれません。また、買い物や旅行に行くにしても、気が合って、気楽に付き合える関係のように思います。しかし、その反面、母親の思いは、良い感情ばかりでないようです。

私が思うに、母親にとって娘は一生のライバル関係のように見えます。恐らくその感情は、自身が老いて、娘の助けが必要になった時に強く現れるのではないでしょうか。娘には負けたくない、娘に助けてもらいたくない、娘に礼など言いたくない、など思う気持ちもあるようです。しかし、その反面、娘が一番頼りになると思っていることも確かです。

この感情は、どんな母・娘の関係でもあるように思います。老いた母は、娘のはつらつとした若さがうれしい反面、それが嫉妬かもしません。また、自分の若いころと同一化して「あなたを見ていると昔の私みたいで嫌だわ」というお年寄りもいます。同時に、今の自分の不甲斐なさは、自己嫌悪を通り越し、憎しみが生じ、その怒りのぶつけ場所を娘に向けるのかもしれません。

しかし、最も恐れることは、娘に見捨てられることです。ですから、時には迎合した態度をとったり、また母親が幼い娘に言う事をきかすように高圧的になったりします。その気持ちがうまく使い分けられて、娘を自分の思うようにコントロールできればよいのですが、多くは娘と衝突し、その結果、敗北を察し、引き下がる破目になるのです。

娘として、そして介護者として

介護者として母親を世話している娘さんの多くも、年頃の娘を抱えた母親です。そこで、介護者の娘さんは、母親でいる自分の身に振り返って、娘との関係について考えてみてください。老いた母の思いを感じ取ることができるかもしれません。娘さんが居ない方は、これまでの母親との生活を振り返ってみてください。母親の性格やこれまでの自分に対する態度を改めて確認することで、今の母親の思いを感じとることができると思います。

いずれにしても、私の臨床経験から考えると、認知症の母親は、娘の世話に頼るよりも、あれこれと口煩く指示するライバルの娘と戦う気持ちの方が強いようです。娘には、自分のみっともない姿を見せたくない、できるだけ自身のことは自身でやりたい、と思っているのですが、それができないことにイライラしてしまいます。

そこで、娘としてすべきことは、認知症の人への正しい介護でなく、娘としての母の世話です。具体的には、介護者の娘が「母親にとって良いこと」と思ったことを自己流でも結構ですから積極的にしてあげることです。他人のアドバイスや介護書に書かれてあることを大いに参考にすることも必要ですが、自分が娘である現実も忘れないでください。言い換えるならば、人生のライバルと思っている娘が、今までの娘でなくなり、プロの介護者のような態度をとったならば戸惑ってしまうし、見捨てられ感も生じるのではないでしょうか。時には、親子の喧嘩もよいですし、母親に自身の思いをぶつけるのもよいと、私は思います。たとえ認知症に冒されても、家族への感情、愛情は変わりません。

娘であっても介護者として考えなければいけないことがあります。言うまでもありませんが、認知症は、生活ができなくなる病気です。これまで普通にできていたことができなくなることが本人にとってどんなに辛いことでしょうか。その辛い思いを心から理解してあげられるのも娘という立場の人です。恐らく、人生のライバルである娘に今の自分をわかってほしいとの思いが必ずあるはずです。

ユッキー先生のアドバイス

ある介護している娘さんが私に言った言葉が印象的でした。「母の失敗やできないことを口うるさく指摘してきました。言えば言うほど母は怒りをあらわにし、私を攻撃します。そんな毎日は辛い。でも私が風邪を引き、熱を出した時、母は、子供を労わるように私を労わり、心配してくれました。母はいつまでも私を娘と思っているのですね」

認知症の介護は、肉体的にも精神的にも大変なことです。どんな介護が正しいのか、どうすれば良いのか、楽して介護するには、とあれこれ考えますが、そこには妙案はありません。認知症の本人にとって大切なことは、毎日の安心です。家族がいつまでも自分の家族でいることが、一番の安心ではないでしょうか。

(2016年8月8日)



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