第24回 認知症の人への正しい情報は安心を伝えます

認知症の人は記憶が失われていく自分を知っています。失われていく記憶以外にも、理解や適切な判断もできなくなった自分自身に歯がゆさや情けなさを感じているのです。時折周囲の人から、「いいわよね、ボケると何もわからないから」とか「ボケたら勝ちよね」と、認知症の人を中傷する声を聞くことがあります。なぜ、そのような感情を認知症の人に持つのでしょうか。おそらく、自分に降りかかった問題を忘れたふりをすることで、他人をごまかすことができたこれまでのその人の体験からこのような感情が生まれるのかもしれません。このような認知症の人への考えは間違えで、この誤った理解が認知症の人の対応を難しくし、介護の方法を見失ったりするのです。このコラムでは、認知症の人の気持ちを理解することでその対応がスムーズになった例をお話ししましょう。

この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. ヨシコさんの不安
  2. ヨシコさんの防衛
  3. 夫の悲劇
  4. 家族の決意
  5. 入院後のヨシコさん
  6. ヨシコさんの変化
  7. ユッキー先生のアドバイス

ヨシコさんの不安

中村ヨシコさん(仮名)(76歳)の物忘れが目立つようになったのは、夫の他界から1年位前からでした。同じ年の夫の一義さん(仮名)は70歳で退職し、その後は地域のシルバー人材センターの紹介で駐輪場の監視の仕事をしていました。

そんなある日、家に帰ると妻のヨシコさんが何やら一生懸命探し物をしていました。尋ねてみると「財布をどこかに失くした」とのことで、一義さんも一緒に探したところ、いつも使っているハンドバッグの中に財布が入っていたのでした。その日は、夕食の用意もできていなかったので2人で外食にしましたが、出かけ先でも何か落ち着かない表情で今までと違うヨシコさんに一義さんは少し心配になったのでした。

その後のヨシコさんには以前のような穏やかな笑顔が消え、何を尋ねても「なんでもない」との返事がかえるだけでした。そして、探し物をしていることが増え、毎日の食事の支度もおろそかになり、何かと夫の一義さんに不機嫌な態度で接するようになりました。このように変わっていくヨシコさんを一義さんは理解できず、叱責することが多くなりました。結果、夫婦関係もぎくしゃくするようになりました。

ある日の夜、先に寝室で寝ていたヨシコさんが突然一義さんに「あなた、私、この頃変なの、何にも考えられないの、狂っちゃったの」と、涙を浮かべて訴えたのでした。一義さんはうすうすヨシコさんの異常に気付いていたので、「わかった。明日お医者さんに行こう」と言い、その日はずっとそばでヨシコさんを見守ってあげました。

翌日、近くのかかりつけの診療所に行ったところ、医師に「きちんと検査をしましょう、近くの総合病院の精神科を紹介しますね」と、言われました。とこらがヨシコさんは「私は、気違いではない」と、急に怒りをあらわにして受診を拒否しました。

家に帰る途中、一義さんはヨシコさんに「昨夜自分からおかしくなった、と言っていたじゃないか。検査にいこう」と説得したところ、ヨシコさんは「そんなこと言った覚えはない。あなたは私を気違いと思っている」と、一義さんを攻撃したのでした。その時初めて一義さんは妻が認知症にかかったのではないかと疑ったのでした

ヨシコさんの防衛

一義さんは、「妻の記憶を取り戻したい。これ以上物忘れがひどくならないように、医療に頼らず自分が世話をする」と決意しました。そこで、ヨシコさんに大切なことはメモに取るように指示し、パズルを買ってきて毎日やるように伝えました。夕食の買い物、食事の支度、掃除、洗濯など家事については、一義さんが妻のそばで、一つ一つできるまでいろいろ指示をするようにしました。

その数日後、ヨシコさんは突然、夫に向かって「あなたは誰ですか?」と血相をかえて攻撃してきました。一義さんが「何を言っているんだ、お前の夫だ!」というと、ヨシコさんは何も言わず家を出て行ってしまいました。一義さんはいずれ戻るだろう、と後を追わず家で待っていたのですが、ヨシコさんは夕方になっても帰らず、ついにあたりが暗くなる時間になってしまいました。さすがの一義さんも心配になって近所を探したのですが、ヨシコさんは見つかりませんでした。そこで、行先に心当たりのありそうな友人や知り合いに電話をしたのですが、それでもヨシコさんは見つかりませんでした。そしてついに、一義さんは最寄りの警察署に電話で捜索をお願いしたのでした。

夜の11時ごろに警察から、ヨシコさんがあるターミナル駅で保護されたと電話がありました。駅員がヨシコさんに行き先を尋ねられた際に異常に気づき、警察に届けたそうです。一義さんは、慌てて迎えに行き、ヨシコさんを警察署で見つけると、「どうして黙って出て行ったんだ」と怒ったのですが、ヨシコさんは何も言わずただ、下を向いていました。

翌日、一義さんが娘に相談したところ、娘は「早くお母さんを病院に連れて行かないと!「いやだ」と言っても健康診断とか何とか言って、無理にでも連れて行かないとだめ。」と、強い口調で一義さんに指示したのでした。一義さんは、かかりつけの診療所に行き、事情を話して認知症疾患医療センターに紹介状を書いてもらいました。かかりつけ医は事態の重要さを察し、その場でセンターに電話で予約をとってくれました。

予約日の前日、夫はヨシコさんに「明日健康診断に行こう。ちゃんと見てもらわないといけない」と言いましたが、ヨシコさんは「その必要はない、自分は健康だ」と言って、受診を拒否しました。翌日になっても、ヨシコさんは昨日と同じように「なぜ、病院にいくの」と何度も夫に尋ねました。夫はその都度「健康診断」と答えましたが、何度も同じことを尋ねるヨシコさんを叱責してしまったのでした。

半ば無理矢理に病院に連れていくと、ヨシコさんは「ここは精神科じゃないの。なぜ私が精神科に来なくてはいけないの」と待っている間中、何度も一義さんを攻め立てたのでした。やがて、診察の順番が来ました。診察室で担当医師が「物忘れがひどいようですね。検査をしましょう」とヨシコさんに向かって言いましたが、ヨシコさんはなぜ自分がここに来たのか理解できず、ただ言われるままに検査を受けることに応じました。そして、その日はMRIや心理テストの予約を取って帰宅しました。

帰宅後、ヨシコさんは「あなたは私を騙した」「あなたは私を入院させようとしている」「あなたは、私を捨てようとしている」と、夜中じゅう夫を攻め立てたのでした。やがて明け方近くになりヨシコさんが眠りに入った頃、一義さんはどんなに変わり果てても妻を、これからは自分が世話する、と決意したのでした

夫の悲劇

それから約半年の間、一義さんはヨシコさんを日々一生懸命介護しました。かかりつけ医に処方してもらった認知症の薬は大きな効果がなかったようです。ヨシコさんは、ますます夫に依存的となり、少しでも夫も姿を見えないと夫を探しに外に出てしまい、家に帰れなくなることもありました。そんな頃、一義さんはふと自分の身体の異常に気付いたのでした。便秘と下痢を繰り返すようになり、痔だと思い込んでいた下血が時折ひどくなったことから、異常を確信しました。娘に妻の世話を頼み病院を受診したところ、大腸がんと診断されました。さらに、肝臓への転移も見つかり、医師から余命幾ばくもないことを告知されました。やがて黄疸も出現し、立っていることも辛くなり入院するように医師からも言われたのですが、妻のことが気になり、入院には踏み切れませんでした。それから2週間後のある日、一義さんは倒れこんでしまい、その様子を見ていたヨシコさんが、自分で電話をかけて救急車を呼んだのでした。それから約2週間の入院後に一義さんは息を引き取りました。

葬式にはヨシコさんも喪主として出席しました。その時のヨシコさんの様子は、誰もがまさか認知症に冒されているとは思えないようなものでした。長女の紗枝さん(仮名)は以前から父親からヨシコさんの状態を聞いていたので、ヨシコさんを一人にさせておくわけがいかず、母親のヨシコさんと同居することを決意し家族で実家に戻ってきました。

49日の納骨を済ませたころから、ヨシコさんはしきりに夫の一義さんを探すようになりました。紗枝さんが「お父さんは死んだのよ」と伝えると、紗枝に向かって「なにを言っているのよ。この親不孝者が。お父さんはさっきもここにいたでしょう」と言って紗枝さんを罵り、ひどいときは紗枝さんに暴力をふるうこともありました。暴言や暴力は紗枝さんのご主人や高校生の子供にも及びました、しばらくすると更に、夜中に紗枝さんやその夫に向かって、「お父さんを隠した、返せ」と騒ぐようになりました。

そこで紗枝さんの家族は、亡くなった一義さんについて一切話題にせず、ヨシコさんが一義さんのことを尋ねると「ちょっと出かけている」と返答することを申し合わせたのでした。このことで、ヨシコさんは一義さんを一日探し続けることはなくなりました。しかし時折、夜になると「お父さんはどこなの」と興奮することがありました

家族の決意

紗枝さんは朝早くから仕事に出かけている夫の体調を気遣って、ヨシコさんと夜間は一緒に寝るようにしました。しかし、一向に収まらないヨシコさんの夜間の夫探しに疲労が蓄積し、紗枝さん自身これ以上在宅での介護はできない。と、感じるようになりました。そこで、かかりつけ医に相談したところ、認知症病棟を有する精神科病院を紹介されました。当日ヨシコさんには何も言わずに病院に連れていくと、その場で担当の医師から入院を勧められました。紗枝さんは躊躇したのですが、これまでの状況を考えると入院加療で少しは今後の介護が楽になるのではないかと判断し、医療保護入院に同意したのでした。無論、医師の入院に関する説明にヨシコさんは同意するどころか強い拒否を示しました。しかし、医師の説得でヨシコさんはしぶしぶ入院に同意したのでした

入院後のヨシコさん

何とか入院に同意したヨシコさんでしたが、直後より「家に帰る」とスタッフに詰め寄り、今は入院している、と説明されても「入院などしない」「家に帰る」「お父さんが待っている」と落ち着きませんでした。その夜は、なかなか寝ず、病棟の出入り口にたたずんでいました。翌日は、さらに自宅に帰ることを激しく要求し、時に大きな声を出し、また長女に「すぐに迎えに来るように」と大きな声で頻回に電話をかけていました。このような不穏な状況への対応について、病棟スタッフはカンファレンスを開き協議しました。

カンファレンスではまず、この事例の問題点を整理しました。第1点にヨシコさんは夫の他界を認めず、未だ存命と信じていることです。そして、「夫が呼んでいる(幻聴?)」「夫が今迎えに来ている」「夫を見た、夫がそこにいる。夫に会わせて欲しい」などの作話、あるいはいない人がいると思い込む妄想性人物誤認症などの精神症状が見られました。混乱はますますひどくなるようでした。

第2点に、本人は入院しているという自覚がないことです。どこか見知らぬところに閉じ込められていると恐怖に慄いていました。そのため食事もとれず、水分補給も十分ではありませんでした。また、夜間も病棟内を徘徊しほとんど眠れない状況でした。

第3点は、今までヨシコさんの世話は夫がすべておこなっていたことです。紗枝さんにとって、一義さんが他界した後訪れたヨシコさんの介護は青天の霹靂でした。初めてヨシコさんの混乱に遭遇した時は、紗枝さん自体も混乱し、母親の介護に恐怖さえ覚えたほどでした。それゆえ、父親が死んだことを隠し、ヨシコさんを落ち着かせるために「お父さんはちょっと出かけている」「今は出張にでている」と嘘の説明をしていたのでした。

そこでカンファレンスでは以下の点を確認して対応することを申し合わせました。

まず、もっとも大切なことは、ヨシコさんに真実を伝え、それを受け止めてほしいとお願いをすることでした。ご主人である一義さんは1年前に亡くなったこと、お葬式の喪主をヨシコさんがつとめたこと、そして納骨も済ませたことなど、一義さんの死の出来事を繰り返し何度も伝えました。ヨシコさんが反発し、興奮したときには、咄嗟の声掛けで「ヨシコさんは、本当にご主人が大切だったのですね。ご主人は亡くなったけれど、きっと天国でいつもヨシコさんを見守っていますよ」と説明すると、ヨシコさんの表情が変わったのでした。

また「今、ヨシコさんは病気で入院しているのですよ。」「病気は、脳の病気で、物忘れがひどくなる病気なのですよ。」「今は、紗枝さんは日中お仕事があって、ヨシコさんをお世話できないのです。紗枝さんもヨシコさんも安心して生活できる場所を探しましょうね」「不自由でしょうが、もう少し入院してください」と何度も同じように説明することを試みました。

紗枝さんには、面会に来た時に、今彼女が自宅で世話できないこと、近い将来ヨシコさんが安心して暮らせる介護施設に移れるようにすることなど、現状をありのままに説明してもらいました

ヨシコさんの変化

このように、ヨシコさんに現状を正しく伝えて病気と向き合い、治療を受ける必要を説くことでヨシコさんの攻撃的な行動は消失しました。しかもそれは、徐々にというより、突然落ち着いたのでした。ヨシコさんが真実と向き合ったその瞬間から、帰宅要求も、暴言・暴力だけでなく、ご主人の声の幻聴、作話などの精神症状も消えたのでした。

その後は、病棟の他の患者さんと世間話をし、TVを見て毎日を過ごしていましたが、その1週間後に「夫が危篤、どうしょう」と心配して落ち着かなくなりました。またその時も、ヨシコさんには「ご主人は12月に亡くなったのですよ」と真実を伝えた上で、ご主人が天国で見守っている、という説明を繰り返すことで、また落ち着きを取り戻したのでした

ユッキー先生のアドバイス

認知症は、自分が体験したことを忘れてしまう病気です。ヨシコさんは、ご主人を亡くしたときの体験を忘れ、生きていると確信していますので、会いたいと思うには当然です。もしかしたら、ヨシコさんの気持ちは、ご主人を亡くしたことを認めたくなかったのかもしれません。だから、ご家族が一義さんの死を伝えようとしても聞き入れなかったのでしょう。このような感情は、認知症の人でなくとも生まれます。家族は、ご主人を亡くしたヨシコさんの悲しみよりも、ヨシコさんの異常な行動を何とかしなくてはと躍起になっていたのでした。

ヨシコさんの悲しみは、いつも傍にいたご主人がいなくなったことです。この悲しみを乗り越えるには、ヨシコさん自身が、夫の死を認め、その悲しみを受け入れなければなりません。このヨシコさんの感情の動きにスタッフが気づいて対応したときに初めて、ヨシコさんの気持ちは落ち着いてきたのでした。

認知症のケアとは、認知症の症状を改善させることではありません。認知症の人が安心して毎日を送れるように支援することです。それには認知症の人自身が自分の状況を正しく理解することが一番の安心につながります。それゆえ、周りの人は、本人に理解しやすい言葉できちんと向き合って、本人に真実を伝えることが重要だと考えます。

時として真実は大変悲しく、心に不快感が残るものもあります。しかし、私たちは、その悲しい出来事に向き合って、毎日の生活を営んでいます。認知症の人も同じ感情を持っていることを心に留めておいてください。

(2014年7月2日)



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