2017/01/11

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〔インタビュー〕「リリー インスリン50年賞」が新たな挑戦への力になりました。       

製薬会社大手の日本イーライリリー株式会社が主催する「リリー インスリン50年賞」の授賞式が2016年11月9日に都内で開催されました。インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病患者さんに敬意を表し、長年の努力を称えて顕彰するという賞になります。第14回である今回は16名の方が受賞され、11名の方々が授賞式に参加。また、第1回からこれまでの受賞者数が計100名を越えたという記念すべき回でもありました。

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今回は「第14回 リリーインスリン50年賞」を受賞された加藤敦子さんに、受賞への感想やこれまでのご経験など、1型糖尿病と歩んできた50年を振り返りながら様々なお話しをうかがいました。

【プロフィール】

加藤 敦子さん
1953年生まれ/1型糖尿病/インスリン治療歴50年/東京都在住
(12歳)糖尿病を発症
(22歳)結婚、愛知から東京へ
(23歳)東京女子医科大学病院にて第1子出産
(26歳)東京女子医科大学病院にて第2子出産
(35歳)仕事を開始
(現在)息子さん家族と一緒に同居

受賞で芽生えた新たな挑戦への思い

——授賞式に参加されていかがでしたか?

本当に良い機会をいただいたと感謝しています。これまでの長い人生を振り返る時間にもなりましたが、それよりなりよりとても楽しかったんです。驚いたのは、受賞者のみなさんがとっても元気なんですよ。私にはみなさんの明るく楽しい笑顔が輝いて見えました。それを感じて、自分の中でも「まだまだやれる」「頑張ろう」という気持ちがうまれました。たくさんの刺激をいただき、私ももっと動いてみようと思って、あの日を境に新しく2つの事をはじめました。前からやってみたかったことだったのですが、書道と水中エアロビクスを始めたんです。「仕事もあるし」とか「体調面で続けられるかなぁ」とずっと躊躇していたんですけど、えい!って思い切ってはじめることにしました。

——あらたな挑戦へのきっかけをもらったんですね。

そうなんです。これまでは、いろいろ自分に言い訳をして、二の足を踏んでいました。「低血糖になったらどうしよう」という気持ちが先にきてしまい、やりたいけれど運動とか長時間かかることはやめておこうと避けてきたように思います。だから今回、私としては一大発起でした。水中エアロビはまさに今日、申し込んできたところなんですよ。シニアのカテゴリになりますが、音楽に合わせて水の中で身体を動かせるみたいなので、今からとても楽しみですね。これも授賞式に参加させてもらったおかげなので、とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。

——受賞者の方とはどんなお話しをされたのですか?

授賞式ではあまりお話しできなかったんです。みなさん初めてお会いする方たちでしたし、それぞれが担当の方や先生方とお話しされていたりして、なかなかおしゃべりする時間が取れなかったのがちょっぴり残念でした。だけど、翌朝宿泊していたホテルの朝食会場で何人かの方とお席をご一緒することができて、少しですがお話しすることもできました。連絡先を交換してくださった方もおられて、また新しくつながりができて本当に嬉しいです。

周囲の協力と理解がなによりもうれしい

——あらためてこれまでを振り返ってみていかがですか?

12歳の時に発症したのですが、その時から50年経ったんだなぁ、とあらためて時の流れを感じます。発症当初は自分が病気になったなんて全くわかりませんでした。体育や運動した後に、動けなくなるぐらいすごく疲れてしまったり、ものすごく喉が渇いたり。授業の1時間が我慢できないくらいトイレに行きたくなったり。不調は感じていましたが、その頃は糖尿病の知識なんてまるでなかったので、あまり気にしていませんでした。だけど、ピアノの先生が週に1回のレッスンの度に痩せていく私を気にかけて「病院へ行ってみたら?」と言ってくれて。それで初めて町の病院で診察してもらい、糖尿病と診断されました。

——学生時代は大変なことも多かったのでは?

糖尿病と診断されましたが、最初は薬もインスリンもなく食事療法が主でした。甘いものはもちろん、ご飯も一粒も食べちゃダメって言われて。お弁当は大根とコンニャクを薄味で煮た味気ないものでしたし。だからますます力が出なくて体力もなくなっていって、その頃が一番大変だったなって思います。しかも母は私の病気を知ってうろたえてしまい、煎じ薬を飲まされたり、催眠術の先生のところに連れて行かれたりもしたんです。パニックになる母を見て、私も動揺したのを覚えています。その後、糖尿病専門のお医者様に診てもらったら即入院ということになり、本格的な治療が始まりました。
学校生活では、今みたいに血糖をはかることも出来なくて不便な面はありましたが、友だちみんなが病気のことを知ってくれていたので、意外にも普通に過ごせていたような気がします。先生やみんなが協力してくれたことや、病気を知ってもらっていたから気兼ねなく生活できていたのかなと思います。

——みんなが助けてくれたのですね。

そうですね。やはり周囲の協力が一番ありがたいと思います。学生の頃は低血糖になったら友だちが「早くジュース飲みなさい」「飴食べてね」と言ってくれていましたし。修学旅行や行事も、学校が協力してくれて全部参加することができました。
逆に社会人になってからの方が大変でしたね。病気のことを言う機会も少なく、あえて周りに言わないことも多かったので、気を使う場面の連続でした。食事の直前にインスリンを打つので、たとえばランチに出掛けた際に「あの人、いつも食べる前にトイレ行くわね」って思われてないかなぁとか色々考えちゃうことが多くなりました。

——出掛ける時は準備や計画をしっかりしないとですね。

私、元々とっても心配性なんです。だからお出かけの前には、いつどこでどうしようって頭の中で考えておくことが多いですね。外食等では、インスリンを打つ場所があるかとか、休憩する場所があるかとか。病気と向き合いながら生活していかなければならないので、常にそのことは頭にあります。前もって考えておくだけで、少しでも安心して出掛けることができますからね。

信頼する先生からの言葉が出産への後押しに

——妊娠や出産のご経験を振り返っていかがでしょう

結婚するまでは名古屋の病院に通っていたのですが、その際、結婚することを主治医に伝えたら「子どもは作らない方がいいよ」と言われました。出来ないことはないけれど、前例がまだないのでやめた方がいいと。なんとなく「子どもは難しいのかな」と気にしていたので「やっぱりそうなんだ」とがっかりしてしまいました。
結婚後は東京に来て、病院も東京女子医科大学病院に移ったのですが、その当時担当してくださっていた、糖尿病センター初代所長の平田幸正先生と出産の話をした際、「可能性に挑戦しないでどうするんですか」と言っていただいて。今は東京女子医科大学病院の名誉教授をされている海老名総合病院糖尿病センター長の大森安恵先生にも「ここには良い先生がたくさんおられるから安心して産みなさい」と言われました。本当にうれしくて、先生方の声に後押しされて妊娠・出産を決意しました。今回、50年賞の授賞式では大森先生にお会いできましたし、お話も聞くことができて心から嬉しかったです。

——「可能性に挑戦しないでどうするんですか」いい言葉ですね

笑顔で言っていただいたんです。この言葉と優しい表情が今でも忘れられません。お二人とも心配性の私に「大丈夫、大丈夫」といつも声をかけてくださいました。それから無事に妊娠・出産を経験し、2人の子どもに恵まれました。あれから月日は流れましたが、今でも先生方に後押ししていただいたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
現在の主治医である東京女子医科大学病院の三浦順之助先生もとっても優しくて、いろいろ親身になって応えてくださいます。糖尿病と戦ううえで、信頼できるお医者様と出会うことは何より大切なことです。本当に私はラッキーで幸せ者だと思っています。

——妊娠期に特に気をつけたことはありますか?

自分の口に入るもの全てが血糖に影響してきます。高血糖になったら自分にもお腹の子どもにも良くないとわかっているので、本当にストイックに頑張りました。先生方には「糖尿病の患者さんで一番優秀な時は妊娠時よね」って言われました。どうしても甘いものが食べたくなった時は、ノンシュガーのジュースや海苔、ところてんなど、カロリーの低い食べ物を探して食べていました。ものすごくお腹がすくんですけど、それよりも元気な子どもを産みたいという気持ちが大きくて、頑張ることができました。自分でも偉かったなって思えるぐらい、妊娠期間はとっても優秀な患者だったと思います(笑)。

心の支えは同じ病いと経験を共有してきた友だち

——とてもお若くてハツラツとしてらっしゃいますね。

本当ですか!ありがとうございます。実際は落ち込んだり不調の時も多いんですよ。病気の悩みや日々の大変なこともたくさんあるのですが、そんな悩みや愚痴をいろいろ話すことができる友だちがいるのが大きいと思います。2人目の出産の時に病院で知り合った同じ1型糖尿病の友だち達なのですが、今でも会ったり電話で話したり、すごく支えになってくれています。病気のことや子育てのこと、お互い仕事をしているので仕事での悩みなど、同じ経験と思いを共有してきたから、なんでも話せるし分かり合える。しかも彼女達は、私よりもっと元気で行動的でポジティブだから、たくさんの刺激をもらっています。みんなと話していたら、クヨクヨしている自分は何だったんだろうって思えてくるんですよ。

——悩みごとや困りごとを共有できる友だちは心強いですね

そうですね、信頼していますし頼りにもしています。だけど36年という長いつきあいなので、なんでもわかっているからこそ逆に言い訳できないんですよ。彼女達が頑張っているのに、「私、病気だからできないわ」とは言えないんですよね。だからこそ、ポジティブな気持ちを保っていられるのかなって思っています。みんな本当にかけがえのない友だちです。

「動かなければ出会えない」やる前からあきらめないで

——好きな言葉や座右の銘などありますか?

「動かなければ出会えない」という言葉です。これは絵手紙を習っていた時の先生の言葉なのですが、今あらためて身にしみています。今までは口では「動かなきゃ」って言いながら、なかなか行動に移せない場合もあったのですが、今回の50年賞受賞で同じ思いを共有する方々にお会いして、より一層、大きく動いてみようと思いました。先にも話しましたが、習字や水中エアロビもその一環になりますね。演劇やコンサートなど出掛けることや楽しいことが大好きなので、これからも頑張って動いてみたいと思います。

——1型糖尿病と戦っている人たちへメッセージをお願いします。

私たちの時代は結婚したら女の人は家庭に入るというのが一般的でしたが、今の時代は糖尿病でも自分をしっかりコントロールできればバリバリ仕事することが可能だと思います。だから、病気だからといって諦めたりせず、色んなことにチャレンジしてほしいと思います。手に職をつけたり、やりたいことを思い切りしたり。私はそれが出来なかったんです。それだけが心残りというか、後悔していることなのです。とくに若い方には、病気に負けないで自分の人生を豊かなものにしてもらいたい。治療も大事だと思いますが、自分が活躍できる仕事を持つこと、活躍できる場所を見つけてほしいと思います。

——最後に、サポート側のご家族や周囲の方々にも一言お願いします。

ご家族が糖尿病と診断されたら本当に心配だと思います。今以上に病気が悪くならないよう、あらゆることをしてしまうと思います。私の場合、親が心配して何もさせてくれませんでしたが、それが今になって、大きな後悔となっているんです。まずはやりたいことをやらせてあげて、それを陰からサポートしてあげてほしいと思います。現在は医学も進んでいますし、良い先生方も多くいらっしゃいます。出来ないことより出来ることの方が多いと思いますので、ぜひそのお手伝いをしてあげてほしいと思います。

(取材・文/たなべりえ)