第34回 認知症の人の困った行動の訳

精神科の物忘れ外来を訪れる患者さんの多くは、家族が同伴します。その目的は、ご本人自身では説明できない最近の生活上の変化や困った行動を治療者に伝えるためです。

家族は、本人の認知症に気づき、その改善を望むのですが、むしろ困った振る舞いや考えを何とかやめさせて欲しいとの願いが第一のようです。また、時には、都合の悪い行動や言動を認知症と思い物忘れ外来を訪れる家族もいます。

しかし、家族が困るような行動や誤った考えは、本人にしてみれば意味のあることが多いようです。そして、その理由がわかると、対応方法もわかり、それによって本人は落ち着き、安心し、家族への攻撃が和らぐのです。
この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 地元名士の場合
  2. 妻への嫉妬妄想
  3. 困った行動の真相
  4. 真相がわかれば行動の異常はなくなります
  5. ユッキー先生のアドバイス

地元名士の場合

井上克己さん(仮称)78歳は、地元で建築会社を営む傍ら町内会の会長を務め、地域の発展に貢献してきました。地元の八幡神社のお祭りには、主催者として長年手腕を振るってきました。75歳になって町内会長を引退しても町内の相談役として周囲から頼りにされていました。

そんなある日、建設会社を引き継いだ息子の克典さん(仮称)を驚かす事件がありました。それは、克己さんが地域の飲食店で飲み食いした多額の請求書が送られてきたのでした。そればかりか、地元商店街の幾つもの店から克典さんの見覚えのない請求書が届いたのでした。克典さんが克己さんに問いただすと「そんなもの、知らない」の一辺倒で、結局すべて支払うことになったのです。

それだけでなく、もっと克典さんを驚かす出来事がありました。それは、克己さん名義の預金がほとんどなくなっていたのでした。一度に数百万円のお金が引き出される通帳をみて、克己さんに強く問いただすと、町内会のある役員に貸したお金とわかりました。そんなことがあって克典さんがいろいろ調べると、多額のお金が他人の手に渡っていたことがわかり、早速、弁護士に相談したのです。

このことがあり、克己さんの妻久子さん(仮称)が毎日の行動を監視し、また、できるだけ町内会の会合には出席させないようにしました。当然、克己さんは久子さんを攻め立て、時には暴力を振るうようになりました。

弁護士のアドバイスで克己さんに後見人を立てるために、成年後見人申立ての手続きを行うことにしました。そこで、克己さんには、十分な判断能力が欠けていること示すため、物忘れ外来を受診したのです。その際、久子さんからは、克己さんの毎日の行動を監視できないこと、また克典さんからは、お金の問題が解決するまで入院させて欲しいとの希望がありました。そこで克己さんにも同意を得て入院することになりました。

入院中、克己さんは町内会でやり残した仕事があることを理由に退院を要求していました。そこで、息子さんから聞いたこれまで克己さんの行ってきた困った行動や入院の必要性について時間をかけて説明し、入院の継続に同意するように努めました。

徐々に克己さんは、落ち着きを取り戻すと、多額の浪費について「(飲食店での支払いは)若い人だから払わせる訳にはいかない」と、また「町内会で必要なものを立て替えて買った」と説明していましたが事実関係は不明です。また「金に困れば助けてあげるのが町会長の仕事」とも言っておりましたが、誰に、いくら貸したのか、全く覚えていませんし、借用書もありませんでした。

克己さんが行った行動は、家族にとっては大変困ったことで、家族の克己さんに対する攻撃も理解できます。しかし、初期のアルツハイマー病 (これまでの『アルツハイマー型認知症』から『アルツハイマー病』と名称を変更し記載します) の克己さんには、妻や息子の攻撃を理解できず、反発し、暴言・暴力に及んだのでした。

入院中に、克己さんからいろいろな話を聞きました。戦後の焼け野原になった東京で育ち、中学を出てすぐに親戚の土建屋で働きながら夜間高校を卒業し、そのあと夜間大学で一級建築士の資格をとり、35歳の頃自身で建設会社を立ち上げたそうです。彼の苦労した話は、自慢話でもあり、またその時間が彼にとって至福の時でもありました。

そして町内会のお祭りや数々のイベントを催したこと、区から感謝状を貰ったこと、ある時は近所の火災で人助けをしたこと、などいろいろな話を聞かせてくれました。そんな克己さんは、自身でも認める地元のリーダーであり、頼れる人間でした。

今の克己さんは、最近の自分の行った行動について思い出すことができません。しかし、克己さんに息子さんや奥さんが困っている事実を繰り返し説明しました。最初は、強く否定し、私にも怒鳴ることもありましたが、次第に治療者との信頼関係が生じてくると、私の話にも耳を貸すようになりました。

また、長男や妻に直接克己さんの困った行動を説明してもらうことで、次第に克己さんの言動に変化が見られました。「妻は、今まで自分によくしてくれた。妻のお陰」「長男は、自分の後を継いで立派にやっている」と両者への労いの言葉が多く聞かれるようになったのです。

妻への嫉妬妄想

吉井尚彦さん(仮称)73歳は、妻に対して「不倫している」と毎日責めたてていました。妻の恵子さんが、団地自治会の役員に選出されて、自治会の仕事で家を空けることが多くなりました。そして、最近になって自治会長が何度か吉井さんの家を訪ねては、恵子さんと話し合っている様子を尚彦さんが目にするようになりました。

そんなある日、尚彦さんは突然、妻に向かって「お前は不倫している」「会長とお前はできている」と責め立てたのでした。最初、恵子さんは一笑に伏していたのですが、そのうち尚彦さんは長時間にわたって妻を責めたて、時には「あいつをぶっ殺してやる」「お前とあいつを殺す計画をしている」と妻を脅すようになりました。そこで恵子さんが地域の在宅介護支援センターに相談したところ、認知症の可能性を指摘され、物忘れ外来を受診しました。

診察の結果、尚彦さんはアルツハイマー病と診断されました。その後、尚彦さんの言葉による暴力がエスカレートし、妻の恐怖感も増し、家にいられなくなり娘宅に逃げ込む騒ぎとなりました。2度目の受診で、妻の希望で入院加療となりました。入院当初は、恵子さんへの不信から治療者に対して「お前もグルだ」と責めていましたが、徐々に尚彦さんの妻への思いを話すようになりました。尚彦さんにとって恵子さんは、大切な人で、失いたくない人、と評していました。

尚彦さんが「妻が不倫している」と思ったきっかけがありました。それによると、自治会の役員を自分でなく妻が務めていること、自分には見せない妻の会長に対する態度、自宅まで来て妻と会っている会長、その他の妻と会長の振る舞いが彼の嫉妬妄想に発展したようでした。

そして、尚彦さんの妻への「見捨てられ不安」があるようでした。「あいつは俺を捨ててどこかへ行ってしまう」と毎日のように訴えていました。そこで、恵子さんとも相談し、毎日面会に来て尚彦さんの「見捨てられ不安」を解消する努力をしました。約1か月の入院で、尚彦さんの妻への攻撃はなくなり、退院となりました。

困った行動の真相

認知症の症状に行動心理症状(BPSDとも言います)があります。この症状は、徘徊や介護拒否、暴言、暴力などの困った行動(行動障害)と、物盗られ妄想などの妄想、幻覚、不眠、不安などの精神症状を指します。

井上克己さんの浪費も行動障害の一つでしょう。以前の克己さんであれば、不特定の他人に大金を貸すことはありません。認知症に冒されると、自分の行った行動を思い出すことができなくなるエピソード記憶の障害に加え、判断力や理解力が冒されます。

それゆえ、人助けは彼にとって当然の行為なのですが、大金を口約束で貸したり、町会のために高額な商品を買ったり、常識に欠ける行為を行った為に、家族は困惑してしまったのです。そして家族全員が克己さんを非難したので自分の正当性を示す手段として暴言や暴力を振るうようになったのでした。

吉井尚彦さんの嫉妬妄想も妻が自治会役員として多忙な日々を送っていたことや、自治会長が家まで来て妻と話し込む行為を目撃したことなどから、妻への嫉妬妄想に発展したのでした。そして日増しに妻への攻撃が始まり、妻を自治会長から離そうと躍起になったのでしょう。その背景には、明らかに妻からの「見捨てられ不安」が存在していました。

克己さんの息子や妻に対する暴言や暴力行為は、これまで町内会で行ってきた自分の行為を全て否定された、と思っての怒りの表現で、金銭に関するトラブルのことは念頭に無かったようです。彼の行動の真相を明らかにした訳ではありませんが、彼自身でも以前から記憶力や判断力の衰えに気づいていたようです。それゆえ、自分の威厳を保つために、金銭で町内会の人たちの注目を引こうとしたのかもしれません。

さらに、ご家族の話では、新しい町会長を克己さんは快く思っていなかったようで、その対抗意識もあったのかもしれません。これらの克己さんの町内会への思いが多額の浪費につながったと察します。

真相がわかれば行動の異常はなくなります

困った行動を無くすのに最も重要なことは、家族はもとより本人にも、その行動の原因が認知症であることを理解し、その人の正しい判断のもとでなされた行動でないことに気づくことです。

この2つのケースにおいても、まず家族には、本人の異常な行動の原因がアルツハイマー病の初期であることを説明し、理解を求めました。また本人には、CT写真や心理テストの結果を示して、アルツハイマー病であることを告知し、それにより記憶力や判断力が低下していることが認められると、毎日、何度も、説明しました。

克己さんには、地域でのお金のトラブルが発生していること、またそれにより長男がとても困っていることを説明しました。

また尚彦さんには、恵子さんは決して不倫などしていない事、尚彦さんがそのように誤解するのは恵子さんを大切に思っている証拠、と同じ説明を繰り返しました。当然、本人達には、身に覚えがないことですので、その説明にとって当然納得できるものではありません。

家族は、アルツハイマー病を理解することで、これまでの本人への批判的感情が薄れ、本人の不安感を解消するように努力する態度に変わっていきました。結局両者ともに約1か月の入院加療で退院しましたが、彼らの行動が変わったわけではありません。

克己さんは、町内の人たちに役立ちたい、との思いは退院後も続いたようです。しかし、家族が後見人を申請し、また町内会でも、克己さんの事情を知って、今度は町内会が彼を見守ることで認識が一致したようです。このような環境が整えば、本人は安心して町内を朝夕と徘徊することができ、家族も彼の行動を受け入れることができました。

尚彦さんの嫉妬妄想は退院後も続いたようです。しかし、恵子さんの接し方が変わりました。嫉妬妄想に対して、いつもけんか腰に否定していた恵子さんが、「そんなことはしていませんよ、あなたがいるじゃないですか」と穏やかに対応することで、尚彦さんの妻への攻撃が徐々に和らいできたようです。

ユッキー先生のアドバイス

認知症の人の多くに家族や周囲の人が困る行動が見られます。それは、その人なりの理由があって行う行動ですが、大人としての正しい判断にもとづくものではないので、周囲を驚かせます。

自分自身の感情のままに行う行動で、そこには、「こんなことをしたら周囲が困る、嫌われる」といた判断はありません。すなわち、大人として自分を制御する行動抑制ができないための異常な行動です。これが認知症症状の一つの行動心理症状(BPSD)をもたらす原因なのです。

(2015年9月29日)



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